2017年6月10日土曜日

三井記念美術館「奈良 西大寺展」観覧 ‼


本日、三井記念美術館「奈良 西大寺展」を荻窪グループの皆さんと
一緒に観覧した。5月25日(木)には、西荻窪グループで観覧しており、
2度目となる。

特別展も明日(6月11日)が最終日となるためか、入場前から長い列が
できていた。今回は、浄瑠璃寺の吉祥天立像が出陳されており、見どころ
の一つとなっている。
特別展チラシ(文殊菩薩)

「西大寺展 叡尊と一門の名宝」に出て来るキーワードを並べると・・・
「興法利生(こうぼうりしょう)」、「戒律と密教」、「密教と修法具」、
「戒律と舎利信仰」等。また、叡尊の信仰や活動を反映する諸尊像として
「釈迦如来」「文殊菩薩」「愛染明王」「聖徳太子」「弘法大師」などが
挙げられる。

展示室ごとに印象に残った作品についてまとめた。(写真は図録から)

【展示室1:密教と修法具】
 一番目を引いたのは厨子入りの愛染明王坐像。銅造鍍金の愛染明王は
 掌に載る程の大きさで、念持仏にしたいような像だ。(①) 
 叡尊造立の西大寺・愛染明王は、タイミングが合わず、観覧の機会を逸した。

 ②密教法具は中央に五鈷鈴、その周りを囲むように五鈷杵、三鈷杵、
 独鈷杵が並べられている。法具を載せる盤を金剛盤と言う。金剛鈴は
 仏性を覚醒するため、金剛杵は仏敵を降伏させるもの。いずれも精緻
 にできている。
①重文・愛染明王坐像(厨子入り) ②密教法具(西大寺)
      (称名寺・金沢文庫保管) 

【展示室2:戒律と舎利信仰】
 戒律が一番守られていたのは釈迦存命中。戒律復興は原典回帰、釈迦の
 時代を模範にすることとなる。そのシンボルが仏舎利。埋葬していた
 仏舎利が、眼に触れるものとなり、容器も豪華になっていったと思われる。
③国宝 金銅透彫舎利容器
(西大寺)

【展示室4:(1)西大寺の創建から平安時代まで
 今回の出陳仏像で一番古い作品は、奈良時代制作の塔本四仏坐像の2躯。
 ④釈迦如来坐像と⑤阿弥陀如来坐像。4躯一具として造立されたものであり、
 尊名は後でつけられたようだ。
 
 木心乾漆像であり、奈良時代に流行した制作技法。経年による仏像表面の
 状況は聖林寺の十一面観音と良く似ている。釈迦より、阿弥陀の方が優しい
 眼差しに見えた。
重文 塔本四仏坐像 
④釈迦如来坐像 ・ ⑤阿弥陀如来坐像
(西大寺)

【展示室4:叡尊の信仰と鎌倉時代の復興】 
 展示室4の目玉は興正菩薩坐像(⑥)と文殊菩薩坐像(⑦)。
 興正菩薩坐像は昨年、国宝に指定された。叡尊80歳の寿像
 (存命中の肖像彫刻)。眉毛が特徴的。
 この西大寺像はかくしゃくとした印象がある。一方、並んで展示
 されていた白毫寺像は、どことなく寂しさを漂わせた風貌だった。

 ⑦文殊菩薩坐像は渡海文殊五尊像の中尊。文殊菩薩は叡尊が
 信仰していた尊格の一つであり、叡尊の十三回忌に弟子たち造立した。
 文殊菩薩信仰は、弟子の忍性からの影響が大きいようだ。忍性は
 文殊菩薩の化身と言われた行基を尊敬していた。

 興正菩薩坐像、文殊菩薩坐像のいずれも像内納入品が多く、尊像の
 歴史的、文化的価値を一層高めている。

 行基、叡尊、忍性はいずれも、社会福祉事業に熱心に取り組んだこと
 で有名だ。文殊菩薩と言えば、智慧の仏としての印象を強く持っていた。
 智慧と言うより、慈悲の仏と思われる。

⑥国宝 興正菩薩坐像  ⑦重文 文殊菩薩坐像
(西大寺)  

 展示室4で印象に残った像として⑧毘沙門天立像の邪鬼。踏まれっぷりが
 見事。顔の歪みが半端でない。叡尊の住房に安置されていたと伝わっている。
 叡尊はいつも、この邪鬼を眺めていたのだろうか。
 聖徳太子像(⑨)の孝養像(十六歳像)や二歳像も展示されている。
 釈迦信仰は、仏教を興隆させた聖徳太子信仰へ繋がる。また聖徳太子は
 観音の化身と言う考えから如意輪観音像も大事にされた。
     
⑧毘沙門天立像 ⑨重文 聖徳太子立像
(西大寺)  (元興寺)

【展示室7:(1)真言律宗ー山の名宝】
 真言密教と言えば開祖、弘法大師 空海。元興寺像(⑩)はいつも、
 眼にする顔だちの空海(東寺像など)と違い、エネルギッシュで若々しい
 印象を持った。

 岩船寺の普賢菩薩騎象像は、岩船寺参詣の際、三井記念美術館に
 出張中のため、拝観できなかった。東京でご対面できるとは嬉しい。
 大倉集古館像に良く似た造形だ。
 しかし、こちらの普賢菩薩は少し細身で女性的な印象。六牙の象は
 上目遣いの優しい目をしていた。

⑩重文 弘法大師坐像    ⑪重文 普賢菩薩騎象像
 (元興寺)        (岩船寺)

 麗しの仏、凛々しい仏は吉祥天立像(⑫)と地蔵菩薩立像(⑬)。
 共に浄瑠璃寺像。
 (地蔵菩薩は東博に寄託)  吉祥天像は6日から11日の6日間だけ展示。
 秘仏で厨子入りとなっているため、彩色も鮮やかに残っている。妖艶な
 雰囲気を醸し出す魅力的な女尊だ。像の前にはロープが張られ、大勢の
 人達に囲まれていた。

 地蔵菩薩立像は延命地蔵と呼ばれ、柔和な表情は何とも言えない安らぎを
 感じる。浄瑠璃寺には、この像より少し大きめで、像容も似た像が安置されて
 いる。まさに美男美女の仏様と言える。
⑫重文 吉祥天立像  ⑬重文 地蔵菩薩立像
(浄瑠璃寺)

 一際存在感のある像が白毫寺の太山王坐像。冥界で死者を裁く十王の
 一人。閻魔王が五七日(三十五日)の裁判官であるのに対し、七七日
 (四十九日)の裁判官。いわば最高裁の裁判官に当たるのが太山王。

 穏やかな仏と違った強面が魅力となっている。司命半跏像(⑮)、
 司録半跏像(⑯)のちょっと不気味な雰囲気も効果的。
⑭重文 太山王坐像 

⑮重文 司命半跏像  ・  ⑯重文 司録半跏像
(白毫寺)

【展示室7:(2)忍性と東国の真言律宗】
 東国の真言律宗については、昨年11月、金沢文庫「忍性菩薩展」で、
 多くの仏像を観覧した。叡尊は西国を布教し、忍性は叡尊の弟子として
 東国を任された。
 忍性像⑰)の風貌は、師である叡尊像と共通し、一度お目にかかると
 忘れないような強烈な印象が残る。また、文殊菩薩信仰、釈迦信仰が
 ⑱、⑲の造像となっている。

⑰忍性菩薩坐像
(極楽寺)

 ⑱文殊菩薩坐像  ⑲重文 釈迦如来立像
(極楽寺)  (称名寺 金沢文庫保管)

 特別展の最後に展示されている福島県いわき市の長福寺 地蔵菩薩
 坐像(⑳)が重要文化財の指定を受けた経緯を知って驚いた。この像は
 東日本大震災で損傷し、保存修理が施された折に、像内納入品から
 造像経緯が知られ、震災の翌年平成25年(2013)に指定となったとの
 ことだ。

 震災が重文指定へと繋がったとは不思議な巡り合わせを感じる。 
 「災い転じて福となす。」  罹災した人たちが物理的、精神的にも、震災
 から復興し、過去の出来事として語れるような日が到来することを願って
 止まない。

⑳重文 地蔵菩薩坐像
(長福寺・福島県)
(金沢文庫保管)

ご一緒した西荻窪グループの17名、荻窪グループの13名の皆さん、
いかがでしたか?また、ご感想をお聴かせください。



2017年5月24日水曜日

京都の古刹巡り③~東寺・仁和寺・渉成園~


京都・奈良旅行の最終日(5月12日)は、東寺、仁和寺、渉成園枳殻邸
(しょうせいえんきこくてい)を巡った。最初に向かった先は空海さんの東寺。
目的の一つが、五重塔の内部を拝観すること。

バスに乗り、北大門の前で下車。大勢の高校生が歩いている。修学旅行生
かと思いきや、東寺のそばに高校があり、通学する高校生だった。歴史的な
場所に隣接する高校は刺激的だ。

北大門に向かって歩くと、手前左手に観智院がある。以前拝観したことがある。
鳥獣座に乗った五大虚空蔵菩薩が記憶に残る。宮本武蔵が描いた襖絵もある。
時間割りの関係で、今回は残念ながらパス。

1.東寺 
  ①五重塔
  最初に向かった先は、期間限定でご開帳となっている五重塔内部。案内板に
  五重塔の如来像についての解説と配置図が書かれている。
  (案内板を見易くするため、上下2つに分けて、ブログにアップ)
  東面が入口、南面が出口になっている。講堂 立体曼荼羅の五智如来と同じ
  金剛界の如来像。心柱が大日如来と見なされている。如来の識別は印相で
  しかできない。

  壁には真言八祖像が描かれている。心柱の大日如来を両側から囲むような
  順番で描かれている。第一祖の龍猛から順に龍智、金剛智、不空、反対側に
  回り、善無畏、一行、恵果、そして最後に弘法大師空海となっている。
北大門         五重塔

五重塔の如来像解説    五重塔内の配置図

南面 宝生如来

  ②金堂
  今回注目したのは、十二神将像。薬師如来には、日光、月光の両脇侍像と
  眷属の十二神将が付き従っている。十二神将が薬師如来台座の周りを
  ぐるりと囲む。台座を支えているようにも見える。

  現在の薬師三尊像、十二神将像は、堂宇と共に1603年、豊臣秀頼の
  寄進によって再興された。小さく見える十二神将も像高が1メートルある。
  寄木造り、玉眼が嵌入されている。彩色も残っている。
  
  金堂は、講堂立体曼荼羅の陰に隠れてあまり目立たないようにも思われる。
  しかし、大変興味深い堂宇と諸尊像だ。 
金堂           薬師三尊像

卯神像      酉神像

  講堂の立体曼荼羅はいつもながら壮観。境内をぐるりと散策した後、
  京都駅に戻り、次の仁和寺へ向かう。

2.仁和寺
  宇多天皇は東寺で出家受戒し、仁和寺に入寺した。そして、ここを
  「御室御所」と称した。その後、仁和寺は退位した天皇が入寺し、
  門跡寺院の起源になった。

  宇多天皇は密教に通じ、かつ実践された天皇。また、藤原氏に対抗
  するために、菅原道真を重用したことでも有名。仁和寺は、現在
  真言宗御室派の総本山。

  最初に眼にするのは、威風堂々の山門。「二王門」と表記され、解説文が
  あった。1637年から1644年にかけて建立されたとある。
  徳川三代将軍家光の寄進によって建立された。またこの二王門は京都
  三大門の一つとして、知恩院や南禅寺の三門(山門)と並び称される。
仁王門         仁王門解説

吽形        阿形

  庭園が整備作業中とかの理由で、無料開放となっていた。何とラッキー
  なことかと喜ぶ。御殿入口から入り、白書院で南庭を眺め、更に進み、
  宸殿から北庭を暫く眺めていた。庭園の先に五重塔が見える景色が
  何とも言えない。

  仁和寺庭園は京都市指定名勝となっている。解説板に「宸殿の庭園と
  重要文化財の飛濤亭、遼郭亭の露地から構成されている」とある。
  露地(ろじ)とは茶庭ともいい茶室に付随する庭園の通称のこと。つまり、
  宸殿の庭園と茶室の茶庭が一体となっていると言うこと。

  仁和寺の庭園を前にして、廊下に座り込み、静かな時間を過ごす。
  至福の時となる。
庭園          庭園解説

  宸殿の部屋に宇多法皇の図像を眼にし、記念に1枚写真を撮らせて
  頂いた。
  御殿を出るときに、扁額の解説を受け、写真を撮るよう勧められた。
  「華蔵界会」(けぞうかいえ)と読む。「華蔵界」とは「蓮華蔵世界」
  のこと。蓮華蔵世界で会うとのことらしい。何やら奥深い意味が
  ありそうだ。また、訪れたい。
宇多法皇像        「華蔵界会」の扁額

3.渉成園 枳殻邸 (しょうせいえん きこくてい)
  最後に、東本願寺の飛地境内地、渉成園を訪れた。
  「渉成園十三景と諸建築」として見事な景観や特徴ある建物を楽しめる。
  また「四季のうつろい」として、季節の花も鑑賞できる。
渉成園入口        園内マップ

印月池(いんげつち)    傍花閣(ぼうかかく)
回棹廊(かいとうろう)     朴木(ほうのき)
  
  朴木(ほおのき)の白く大きな花を眺めることができた。朴木の葉は
  自生する樹木の中で国内最大級(25~30㎝)。朴葉寿司、朴葉味噌
  などに使われる。朴木の花を愛でて、京都旅行を終えた。





2017年5月22日月曜日

奈良博で『特別展 快慶』を観覧 ‼


5月11日(木)、浄瑠璃寺、岩船寺を午前中に参拝し、近鉄奈良駅に戻る。
ならまちで昼食を済ませ、奈良国立博物館で『特別展 快慶 日本人を魅了
した仏のかたち』を観覧した。

観覧した仏像(彫像)が61躯、菩薩面が25面。その内、作者が快慶となって
いるものが33躯25面。快慶作とされる像を注視した。

猿沢の池から興福寺五重塔を望む
奈良国立博物館       特別展 会場案内図

特別展の構成は、「第1章 後白河院との出会い」から「第7章 安阿弥様
の追求」までの7部構成になっている。出陳品一覧の裏面が会場案内図と
なっており、展示の様子も分かるように工夫されている。

第1章 後白河院との出会い 

  特に注目したのは醍醐寺の弥勒菩薩像(①)と、ボストン美術館の
  弥勒菩薩像(②)。
  快慶作で一番最初にイメージするする像が醍醐寺の弥勒菩薩像。
  端正な顔立ちと金泥塗の表現がマッチし、仏様のモデルのように
  思える。1192年制作。

  快慶作品のうち最も制作年代の早い像がボストン美術館の像。
  1190年制作。元々興福寺に伝来した作品とのこと。

  醍醐寺像は後白河院追善のために造立されたとのことであり、
  快慶と後白河院との結びつきを示す像となる。
①弥勒菩薩坐像   ②弥勒菩薩立像
(京都・醍醐寺)(アメリカ・ボストン美術館)

第2章 飛躍の舞台へ ー東大寺再興ー

  東大寺再興は後白河院主導のもと、重源によって進められた。
  その重源に重用されたのが快慶。浄土寺や金剛峯寺は東大寺の
  別所となっていたようだ。

  浄土寺の阿弥陀如来像(③)は裸形で、像高は2メートル超える。
  衣をまとい、迎講 (むかえこう)に登場した。これだけ大きな像が
  お迎えに来るシーンは、相当インパクトがあったことだろうと想像
  する。1201年制作。快慶作の菩薩面も、25面が展示されている。

  四天王の広目天像(④)は、東大寺大仏殿四天王像のひな型として
  造られたものではないかと考えられている。醍醐寺に伝来する
  「東大寺大仏殿図」という設計図に示された像の10分の1サイズで
  ぴったり。10倍すると13.52メートルにもなる。
  巨大な四天王が大仏殿の四隅に立つ光景は、さぞや圧巻だったろう。

  阿弥陀如来立像(⑤)は俊乗坊重源を祀る俊乗堂に安置されている。
  快慶の造った数ある三尺阿弥陀如来立像の中で、端正さの際立った
  作品だそうだ。1203年制作。

  僧形八幡神像(⑥)は、展示彫像の中で唯一の国宝。図録解説に
  「生気みなぎる相貌には東大寺再生に向けた快慶の並々ならぬ決意
  が感じられる」とある。八幡神像は基本的には画像で継承されてきた
  歴史があるそうだ。彫像として造立されたことは画期的なことのようだ。
  色鮮やかな彩色が印象に残り、生きているように映る。
  
③阿弥陀如来立像(裸形) ④四天王 広目天立像
(兵庫・浄土寺)  (和歌山・金剛峯寺) 
    
⑤阿弥陀如来立像  ⑥僧形八幡神像 
(奈良・東大寺) (奈良・東大寺)

第3章 東国へ進出

  かつて東国に伝来した確証ある作品は、広島・耕三寺の阿弥陀如来坐像
  (⑦)と、栃木・真教寺の阿弥陀如来立像の二躯のみ。広島・耕三寺像は
  静岡・伊豆山神社旧蔵で1201年の制作。真教寺像は12~13世紀
  制作。
  静岡や栃木の像と言えば、運慶が北条時政や足利義兼の発願を受け、
  制作した像は有名。
 
⑦阿弥陀如来坐像   ⑧阿弥陀如来立像
(広島・耕三寺)  (栃木・真教寺)  

第4章 勧進のかたち ー結縁合力による造像ー

  京都・遣迎院の阿弥陀如来立像(⑨)の像内には1万二千名もの人々
  の名前を記した結縁交名(けちえんきょうみょう)が納められていたとの
  こと。1194年頃制作。
  お寺の名前の通り、発遣来迎(はっけんらいごう)の二尊として、発遣の
  釈迦如来と来迎の阿弥陀如来とで一具となっている。嵯峨野 二尊院の
  ご本尊も同じ。

  大阪・八葉蓮華寺の阿弥陀如来立像(⑩)は、快慶初期の作風である
  単純、明快な着衣の襞の彫りとなっているとのこと。まん丸の顔が印象的。
  12~13世紀制作。

  快慶自身阿弥陀信仰の強い人だけに、結縁合力(けちえんごうりき)
  による造像は快慶が望むところであったろうと想像する。

⑨阿弥陀如来立像 ⑩阿弥陀如来立像
(京都・遣迎院) (大阪・八葉蓮華寺)

第5章 御願を担う ー朝廷・門跡寺院の造像ー

  重源が亡くなった後、快慶は朝廷や門跡寺院の造像に深く関わって行く
  ことになったようだ。国家の災厄を除くための像を造立することになる。
  京都・醍醐寺の不動明王坐像(⑪)や京都・随心院の金剛薩埵坐像
  (⑫)はいずれも、密教に出て来る尊像。

  不動明王は、両眼を見開く大師様であり、東寺講堂五大明王の
  不動明王と同じ造形となっている。金剛薩埵は曼荼羅で重要な役割を
  担う菩薩である。制作年は不動明王坐像が1203年、金剛薩埵像が
  13世紀。

⑪不動明王坐像      ⑫金剛薩埵坐像
(京都・醍醐寺)   (京都・随心院)

第6章 霊像の再生 ー長谷寺本尊再興ー

  1219年焼失した長谷寺本尊の十一面観音像再興に、快慶が大仏師
  として抜てきされた。快慶は仏師の持戒を守り、造仏作法にのっとって
  如法(にょほう)に造立したと言う。
  快慶が仏教の教義を守る、霊像を造立するに相応しい仏師と認められた
  ことを物語るように思える。

  京都・正壽院の不動明王坐像(⑬)、アメリカ・キンベル美術館の釈迦如来
  立像(⑭)はそのような背景で造立された像と理解した。 不動明王坐像は
  12~13世紀、釈迦如来立像は13世紀の制作。

⑬不動明王坐像    ⑭釈迦如来立像
(京都 正壽院)(アメリカ キンベル美術館)

第7章 安阿弥様の追求 

  運慶と快慶の違いは何かを考えるときに、快慶には「安阿弥様
  (あんなみよう)」と言う言葉が浮かぶ。運慶が年齢と共に作風が
  変化して行くのに対し、快慶は生涯、自分のスタイルを追求した人
  のように思える。

  平安時代に定朝の「定朝様」が仏の本様となったように、「安阿弥様」
  が一つのモデルとなったことは間違いない。

  「安阿弥様」について、清泉女子大学の山本勉教授が30年前に論文で
  定義した。「快慶が創始した阿弥陀如来の三尺立像ないし同規模の如来
  立像の形式の呼称」。

  山本教授は、安阿弥様阿弥陀如来立像の3形式として、衣の重なる形を
  分類している。初期の作品に見られる第一形式は、衣の重なりが腹前で
  V字になっている。奈良・西方寺像(⑮)やな奈良・安養寺像(⑯)の例。

  次いで、第二形式は右肩を覆う衣の下の方を引き出し、たるませ、裏を
  見せる形。滋賀・圓常寺像(⑰)の例。

  最後に、第三形式は、第二形式にプラスして、左襟部分に下の衣が
  引き出され掛かっている形。奈良・光林寺像(⑱)

  なお、制作年は西方寺像、安養寺像が12~13世紀、圓常寺像が
  13世紀、光林寺像が1221年となっている。

  これからは、快慶の三尺阿弥陀像を拝観する際には、衣の重なりにも
  注目しようと思いを新たにした。
阿弥陀如来立像
⑮        ⑯
(奈良・西方寺) (奈良・安養寺)

 ⑰        ⑱
(滋賀・圓常寺) (奈良・光林寺)

☆「なら仏像館」にて
今年、国宝に指定された 大阪、河内長野市・金剛寺 降三世明王坐像に
お会いした。
この降三世明王坐像は、快慶の高弟、行快の作とされる。快慶展を観覧し、
その後に、お目にかかれるとは有難い。大きさ、彩色、忿怒の表情は迫力
満点。

新国宝  降三世明王坐像 
(大阪 金剛寺)

☆宇治平等院の近辺を散策 
奈良を後にして、宇治で途中下車した。平等院鳳凰堂を眺めたいと思った。
残念ながら閉館時間となり、境内に入ることはできなかった。宇治川の堤防
から木立の隙間から眺めた。宇治川沿いを散歩した。
平等院参道の入り口    宇治川の堤防から見える鳳凰堂

宇治川        源氏物語 宇治十帖

2日目の旅程をすべて終え、京都の宿泊ホテルへ向かった。