5月定例会は25名の参加。本日のメインは中島憲子さんが解説される
「新納忠之介(にいろちゅうのすけ)と百済観音」。来週には藝大美術館での「法隆寺展」を観覧することもあり、しっかり事前学習も済ませたい。
最初に、先月の見仏会「塩船観音寺」をスライドを見ながら、感想を伺った。
境内のつつじは観るも、堂内の仏さまを拝観することは今までになかった
ようだ。歴史ある古刹なだけに、見どころ満載の寺と言える。
中島さんが、レジュメとスライドを使い、新納忠之介の偉大さを解説された。
中島さんは「百済観音半身像を見た(野島正興著、晃洋書房)」を読まれ、
感銘を受け、今回ご発表されるに至った。
岡倉天心が廃仏毀釈の中から、多くの仏像を救ったことは承知していた。
実際に、修復の任に当たった新納忠之介までは、恥ずかしながら、存知
あげていなかった。
明治30年(1897)に古社寺保存法が制定され、国宝指定と仏像修理が
本格的に行われるようになる。翌年、天心とともに美術大学を辞職して、
日本美術院創設に参加、修理保存技術部門の責任者となる。
中島さんの解説で、新納忠之介の心情が良く理解できた。仏像修復へ
かける情熱。また一方、自身の創作活動への思いと、揺れ動く心理的
な葛藤も想像できた。
修理した仏像が2631体(昭和12年まで)とのことだ。その数の多さに驚く。
また、昭和8年(1933)には百済観音を2体模造し、東京国立博物館と
大英博物館に納めたようだ。ぜひ、一度は拝観したい。
「新納忠之介と百済観音」の解説をされる中島さん
解説に耳を傾けるご参加の皆さん
仏像の修理は古くからあったことだが、国宝としての保存を目的とする
修理は全く初めてのことであり、大変なご苦労であったろうと想像される。
今日、奈良の仏さまで新納忠之介の世話になっていない仏さまはない
といっていいそうだ。本当に頭が下がる。新納忠之介の情熱に感銘を受け、
中島さんから早速本をお借りした。
新納忠之介 作
百済観音立像 模造
新納忠之介と同じ時代の人で、今回の法隆寺展に作品が展示される方
をお二人ご紹介した。平櫛田中と鈴木空如。田中は彫刻、空如は仏画。
田中については小平にある美術館へ一度ご案内することとした。また、
空如についてはEテレの日曜美術館で紹介されることをお知らせした。
古仏画を模写し、後世に伝えようと格闘した空如の生き方にも感服。
出陳される仏像の中で、一番の注目は、国宝の吉祥天と毘沙門天の
両立像だ。この像が、なぜ法隆寺金堂・釈迦三尊像の脇に鎮座される
のか、また何のために造像されたかを知ることができた。
「仏像歳時記」の中で「法隆寺の修正会」について詳しく書かれている。
一度、良くお読みいただきたい。
吉祥悔過(きちじょうけか)のご本尊として祀られている。「悔過」とは自ら
の罪や過失を仏前で悔い改めることで、利益を願う儀式のことだそうだ。
平安時代の人々がこの像の前で、どのような思いでお参りしたかを想像
しながら拝観するのも良いのではないだろうか。仏像も、その履歴を知り
時代を遡って思いを馳せることで、日本人の心情や伝統を再認識できる
ように思える。
国宝 吉祥天立像・毘沙門天立像
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