昨日までの猛暑も、少し和らいだように感じた。何と運の良い事か。
10時、雷門に集合。今回は浅草寺の諸仏をじっくり眺めようと計画。
今まで、見過ごしていたと思われる仏像を確認しながら巡拝する。
参加者は14名。
先ずは「雷門」。
外国からの観光客の多さに驚く。聞こえてくる言葉も様々。
日本語があまり、聞こえない。
雷門の正式名は「風雷神門(ふうらいじんもん)」。
いつの間にか「雷門」となる。
風神、雷神の神が鳴る門から「神鳴門(かみなりもん)」といい、
それが「雷門」となったという解説もある。
いずれにしても風神の文字が消えた。
解説板によると、昭和35年に松下幸之助氏の寄進で復興した門。
浅草寺の総門に当たる門。向かって右に風神像、左に雷神像。
雷門 雷門の解説
雷神(向かって左) 風神(向かって右)
提灯の底には龍の彫り物
雷門を通り、振り返ると風神の裏に「天龍(男神)」、
雷神の裏に「金龍(女神)」の像が立っている。
天龍は平櫛田中の作。金龍は横から眺めると尾のようなものが
裾から外へ出ていた。これはどういうことか?
提灯には「風雷神門」の正式名が書かれている。
天龍(男神) 金龍(女神) 真横下から見た金龍
風雷神門と書かれた提灯
参道の縁起絵を見ながら進むと、宝蔵門(仁王門)が見える。
楼門となっており楼内には釈迦如来、四天王、風神、雷神が
祀られているとのこと。
この門の寄進はホテルニューオオタニ創始者・大谷米太郎氏。
文字通り、浅草寺の宝物を収蔵するための構造となっている門。
浅草寺の山門に当たる。
阿吽の仁王が立ち、境内を護っている。
通常、向かって右に阿形、左に吽形の配置となっている。
浅草寺の場合は、逆になっている。
この配置は奈良・東大寺の南大門と同じ。
あの運慶、快慶作の像として有名な仁王像の門。
浅草寺仁王像のポーズは東大寺像と良く似ているように見える。
宝蔵門(仁王門)
阿形(向かって左) 吽形(向かって右)
仁王門を抜け、振り返ると大わらじが下げられている。
山形県村山市有志の方々から奉納されたとのこと。
成人の3倍近くあることが分かる。
このように大きなわらじを履くものが寺を守っていることを示し、
仏敵を撃退する意味があるようだ。
大わらじと上野さん
本堂を参拝前にお水舎(おみずや)で身を浄める。
ここには高村光雲作の龍神像が立っている。
天井には龍の絵が描かれている。
高村光雲作 龍神像 墨絵の龍
いよいよ本堂を参拝。外陣でお参り、その後、内陣に入る。
御宮殿(ごくうでん)に安置されたご本尊は秘仏のため拝観できない。
内陣を奥へ進むと向かって右の脇仏に不動明王、
左の脇仏に愛染明王が鎮座。
内陣は冷房が効いて、快適な拝観となった。
外陣の天井には中央に川端龍子の龍、
左右に堂本印象の天人が描かれている。
本堂(観音堂)
本堂奥に御宮殿(ごくうでん) 外陣天井の図
参拝を済ませた後、本堂を背に記念撮影
次に向かった先は、影向堂(ようごうどう)。
観音様に協力する仏を影向衆(ようごうしゅう)といい、その仏を祀るお堂。
中尊の観音菩薩と生まれ年十二支守り本尊で九尊仏が祀られている。
各々、自分の護り本尊の前に座り、参拝した。
私の場合は虚空蔵菩薩。
影向堂の解説
その後、露座の二尊仏を観てから、二天門へ行くことにした。
二尊仏を寄進した人は日本一暑い市として有名になった、
群馬県館林の高瀬善兵衛。館林は我が故郷。
解説文に仏像造立の年や経緯が書かれている。
奉公した店のご恩に感謝し、主人の菩提を弔うために、造立した。
向かって左が勢至、右が観音 解説文
浅草寺最後は二天門の二天像を拝観する。この門に祀られる
持国天と増長天は寛永寺から移された江戸初期の像。
扁額の「二天門」は三条実美(さんじょうさねとみ)の筆。
先月、護国寺にある墓所をお参りしたばかりだ。
二天門
二天門から浅草寺境内に再び入り、浅草神社へ行く。
鳥居を見て、神明系か明神系かと考える。
井戸さんから習ったばかりの知識を活かして判定を試みる。
一番上の横木(笠木と言う)が反っていないから神明系だろう。
次に、何んという鳥居かの特定は難しい。
あれこれ、言いながらの神社参拝も楽しい。
本殿をお参りし、境内を更に奥まで進むとまた別の
鳥居もあり、形も明神系。
一つの神社に何種類もの鳥居があることも確認できた。
浅草神社の鳥居
本殿 浅草神社の縁起
浅草神社の参拝も済ませ、昼食へ向かった。
天候にも恵まれ、今日も一日楽しく過ごした。
神仏習合のモデルのような寺社で日本の伝統文化、
庶民信仰の一端を味わった。
ご参加の皆さんに感謝!
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