9月定例会参加は26名。長寿ポイントシールをお渡しした方、
16名は過去最高人数。
BACが少しでもシニアの生きがい活動に役立つことを願っている。
今月のメインは朝倉さんが語る「川原寺の謎」。
朝倉さんは今回が3度目の発表となる。
シルクロードへの熱い思いが、様々は方向へ広がって行くように
感じられる。
何人かの方から感想がご披露された。
「閻魔大王や俱生神などを見て、
地獄についての関心が強くなった。
迎講での極楽と対比さすことで、面白味も増す」
「円覚寺に立ち寄り墓参りを済ませた。
務めを果たすことができ、ほっとしている」等々。
美術館についての情報提供として、三井記念美術館での
「蔵王権現と修験の秘宝」をご紹介した。
金峯山寺のご本尊・蔵王権現と国宝・藤原道長経筒について解説。
いよいよ、朝倉さんのご発表。パワーポイントとレジュメを使い、
解説スタート。
謎の多い川原寺は何時、誰がどの様な目的で建立したのか
諸説あるなか、古代のロマンに迫ってみると前置きされた。
朝倉さん 発表の様子
今回のテーマは「1.川原寺の謎」にまとめられている。
朝倉さん作成のPPT画面の一部を掲載。
1.川原寺の謎
2.飛鳥京における川原寺の位置 3創建当時の伽藍配置.
<遺跡から伺える広大な寺域 >
4.南大門からみた川原寺跡 5.東回廊跡と東室後
<出土品>
6.三尊塼仏と塑造断片 7.軒丸瓦
8.復元した塼仏 9.エローラ石窟 壁面荘厳(インド)
川原寺の創建、隆盛について
●川原寺の創建は乙巳の変(大化の改新)の頃。皇極から孝徳へ、
そして皇極が重祚して斉明となった時代であり、西域からの
外国人が多く渡来した。
そして皇極が重祚して斉明となった時代であり、西域からの
外国人が多く渡来した。
●天智天皇が崩御した母親・斉明天皇の追善のために川原宮に
寺を創建したというのが有力な説とのこと。
寺を創建したというのが有力な説とのこと。
●天武・持統両天皇の時代に川原寺が最も栄えた時代。
朝倉さんがスポットを当てた斉明天皇に対して大変興味深く、
また新たな認識を持つことができた。女帝にも関わらず、勇猛果敢で
あったことや西域からの渡来人を厚遇したこと、
特にサザン朝ペルシャ最後の王やその夫人(舎衛夫人)を厚遇する
様子はちょっと驚きでもある。
また新たな認識を持つことができた。女帝にも関わらず、勇猛果敢で
あったことや西域からの渡来人を厚遇したこと、
特にサザン朝ペルシャ最後の王やその夫人(舎衛夫人)を厚遇する
様子はちょっと驚きでもある。
川原寺はなぜ飛鳥に留まったか。
ここが、今回のキーポイントと言える。朝倉さんの解説では・・・
「インド仏教の影響を強く受け、斉明・天武両帝の厚い庇護を受けながら、
独特の地歩を築き、インド石窟寺院の見紛う異様な金堂・伎楽団・瑠璃
(大理石)の礎石など外国に向けて開かれた寺として大きな役割を
果たしてきた。
やがて凋落の時を迎えるこことなる。川原寺は異端さ故に平城京への
移転が許されなかったのではないかと想像される。」
独特の地歩を築き、インド石窟寺院の見紛う異様な金堂・伎楽団・瑠璃
(大理石)の礎石など外国に向けて開かれた寺として大きな役割を
果たしてきた。
やがて凋落の時を迎えるこことなる。川原寺は異端さ故に平城京への
移転が許されなかったのではないかと想像される。」
遷都に伴う移転が認められないという認識を今まで、あまりしなかった。
移転を拒否されたとは、意外な印象を持った。遷都されると、移転する寺院と
なる場合と移転組、残留組とに分かれる場合があると認識していた。
興福寺は飛鳥の厩坂寺が平城京へ移転した例。
法興寺は元興寺(移転・奈良)、本元興寺(残留・飛鳥)と分かれた。
薬師寺も同様に薬師寺(奈良)と本薬師寺(飛鳥)に分かれる。確かに、
移転が全くないということは、不自然と考える方が妥当かもしれない。
また、残留組は暫くすると衰退している。
写真6、7の出土品から当時の様子をイメージしたり、伝来のルートを探り、
ペルシャ、インドとシルクロードを辿る姿はいかにも、朝倉さんらしいと感じた。
古代のロマンに迫る、よくまとめられたご発表に、ご参加の皆さんは大変感心、
拝聴していた。
朝倉さんから、「興味が広がり、あれこれ調べていくと縦・横が繋がり、
理解が深まる」趣旨の発言があった。心に響いた一言となる。
【今後の予定】
見仏会:10月 日向薬師(伊勢原市) 11月 浄楽寺(横須賀市)
研究発表:10月 朝比奈義幸さん 「阿弥陀聖衆来迎像制作と背景」
11月 渡辺亮一さん 「私の出会った国宝仏像」
12月 山森平世さん 「莫高窟」
1月 安元伸夫さん 「仏像の印相」
2月 中島憲子さん 「鑑真と遣唐使」
移転を拒否されたとは、意外な印象を持った。遷都されると、移転する寺院と
なる場合と移転組、残留組とに分かれる場合があると認識していた。
興福寺は飛鳥の厩坂寺が平城京へ移転した例。
法興寺は元興寺(移転・奈良)、本元興寺(残留・飛鳥)と分かれた。
薬師寺も同様に薬師寺(奈良)と本薬師寺(飛鳥)に分かれる。確かに、
移転が全くないということは、不自然と考える方が妥当かもしれない。
また、残留組は暫くすると衰退している。
写真6、7の出土品から当時の様子をイメージしたり、伝来のルートを探り、
ペルシャ、インドとシルクロードを辿る姿はいかにも、朝倉さんらしいと感じた。
古代のロマンに迫る、よくまとめられたご発表に、ご参加の皆さんは大変感心、
拝聴していた。
朝倉さんから、「興味が広がり、あれこれ調べていくと縦・横が繋がり、
理解が深まる」趣旨の発言があった。心に響いた一言となる。
【今後の予定】
見仏会:10月 日向薬師(伊勢原市) 11月 浄楽寺(横須賀市)
研究発表:10月 朝比奈義幸さん 「阿弥陀聖衆来迎像制作と背景」
11月 渡辺亮一さん 「私の出会った国宝仏像」
12月 山森平世さん 「莫高窟」
1月 安元伸夫さん 「仏像の印相」
2月 中島憲子さん 「鑑真と遣唐使」
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