2016年2月3日水曜日

關信子先生 特別講座 第2回開催!


美術史家・關信子先生の特別講座「仏像入門 
さまざまな信仰・さまざまな姿」の第2回は
「如来像・菩薩像」。
会場は初回同様、満員御礼。(48名の参加)

【如来像】

先ずは、用語の定義から話された。意訳して「如来」、
音訳して「仏陀」。仏陀は更に省略して「仏」となる。
従って、釈迦如来=釈迦仏、阿弥陀如来=阿弥陀仏、
薬師如来=薬師仏、毘盧遮那如来=毘盧遮那仏。

元々は阿弥陀仏陀や薬師仏陀とも言われたものが、
阿弥陀仏、薬師仏となったようだ。

不思議と、大日如来だけは大日仏と聞いたことが無い。
別格扱いとなっているのか?

諸仏通相(しょぶつつうそう)」を改めて認識した。如来の三十二相、
八十種好と言われる通り、共通の相をしており、独尊では何仏かを
特定することは難しい。 

法隆寺金堂の釈迦三尊像は光背の銘文がなければ、釈迦如来とは
特定できない。
同じく、法隆寺の伝橘夫人念持仏・阿弥陀三尊像は脇侍が観音・勢至と
特定でき、結果中尊が阿弥陀如来となる。唐招提寺の盧舎那仏は
光背の千体仏で盧舎那仏と言える。
釈迦如来、阿弥陀如来、盧舎那仏は皆、同じような姿をしている。

極楽浄土に連れて行ってほしいという願望が、親指と人差し指で輪を作る
阿弥陀の印相を生むことになった。他の仏と見まごうことのないようにする
ためのマークとのことだ。
それほど、阿弥陀に対する信仰が強かったと想像できる。

薬師如来も同じ理由から薬壺を持つ姿になったようだ。医学が発達して
いない時代に、病気平癒を祈願する仏はどれほど有難かったか。
他と区別してほしい気持ちも分かる。

【菩薩像】

上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」。
自ら勉強しながらも先生役を果たすのが菩薩と言える。
菩薩も如来と同じく三十二相を備えていると考えて良い
とのことだ。

日常良く接する、菩薩について解説頂いた。特に地蔵菩薩が
日本で発達したと言う話は大変興味深い。インドでの作例が無く、
中国でもわずかとのこと。
地蔵十王経という経典があるにも関わらず、中国で少ないのは不思議。

ここでも、關先生ご専門の迎講と繋がるように感じられた。
恵心僧都源信のベストセラー「往生要集」で地獄の怖さが身に
染みた時代。
観音菩薩だけでなく、新たに地蔵菩薩の救いを求めるように
なったのだろう。

現に、中尊寺金色堂では阿弥陀三尊の他に六地蔵を祀っている。
極楽往生できることを二重に担保している。戦乱に明け暮れた
奥州藤原氏は戦死者の供養と同時に自らが地獄へ落ちることを
極端に恐れていたと思われる。

【仏像の約束事】

その他、仏像の約束事として「印相」、「大衣(だいえ)の着用法」、
「姿勢」についても言及された。大衣の着用では「偏袒右肩」が
正式な着方。

理由は右が浄い、左が不浄との考えから不浄の左を隠すそうだ。
仏の周りを行道する場合は右手が内側になるように右回り(時計回り)
にする。なるほどと感心。

京都大原三千院の阿弥陀三尊像脇侍、観音・勢至菩薩は
「跪座(きざ)」と言う大和座り。この跪座は野外仮面劇で演じられた
ものが取り入れられたもの。日本だけとのこと。

あっと言う間の2時間。また、新しい視点が増えた。次回「明王・天部」が
楽しみとなる。



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