2016年12月16日金曜日

朝比奈さん制作の愛染明王坐像を観覧し、解説を聴く!


今年最後の定例会は、朝比奈さん制作の愛染明王坐像の展示と解説。
BAC幹事として2年近くご活躍頂いた朝比奈さんが今月を持って、倶楽部を
休部することとなった。理由は、仏像彫刻教室のプロコース入学を機に、
履修・制作に専念するため。

倶楽部としては、大変残念。しかし、朝比奈さんの更なるステージでの飛躍を
祈念し、エールを送った。そのような中で開かれた12月定例会には、ご招待の
4名も加わり、総勢31名と大勢の皆さんにお集まり頂いた。

作品は愛染明王以外にも、4点展示された。愛染明王制作に絞ってご報告
させて頂く。
PPTで解説される朝比奈さん         参加者の皆さん
 
1.愛染明王とは
  制作されるに当たり、愛染明王とはどんな尊像なのかについて
  調べられていることは流石と思う。キーワードは「煩悩即菩提
  (ぼんのうそくぼだい)」。密教では欲望を否定しない。
 
  煩悩の根本は生きようとする意志と捉える。低いレベルの
  欲求を高いレベルの欲求へ昇華させる。
 
  例えば異性を求める欲求を、仏を求める欲求に止揚
  (アウフヘーベン)させることもその一例と理解している。
  (止揚という用語は確かヘーゲルの哲学に出て来る。)
  すべてを受け入れ、悟りへのステップとする空海
  ならではの教学と軌を一にするように思える。 
愛染明王の解説        文献で調べた解説抜粋
 
2.愛染明王の姿・持物と代表作例
  一面三目六臂の姿に、どんな持物を持ち、その持物はどんな
  法力があるかを解説し、具体的な代表例も紹介された。 
愛染明王の姿・持物

愛染明王代表例
 
3.【本題】 愛染明王の制作理由と制作手順 
  制作理由は、過去の作品と現在の心境と結びついて愛染明王
  となったようだ。愛染明王を不動明王との対にし、大日如来の
  脇仏として安置することが最終の目標とのことだ。
 
  今年1月に制作に取り掛かり、来年6月完成を目指す1年半の
  計画を見事10カ月の期間で完成されたとのこと。そこには、
  7月から木工工房を活用できたことによる効果だそうだ。
  木工工房のご提供も御仏のご利益ではないだろうか。

愛染明王を彫る理由          制作手順
 
  感覚的には、木の中に住む仏を彫り出すイメージで制作されて
  いるとのこと。確かに、仕上がって行くプロセスを写真で拝見すると、
  御仏のお姿が現れて来るようにも見える。
 
  愛染明王制作にはクスを使用されのは、荒々しさを表現するのに
  適しており、ヒノキだとおとなしくなってしまうそうだ。木材の使い分け
  をされており、制作者ならではの、こだわりと感心した。
彫り始めから完成まで
-1ー               -2-
 
-3-             ー完成ー
 
 
不動明王と並んで鎮座
 
4.その他作品のご披露
  来年の干支酉年に因み、浄土に住む、想像上の鳥「迦陵頻伽
  (かりょうびんが)」を巣立ちの形で制作、更には梵字入りの
  たまご仏も造られた。愛敬のある造形だ。
迦陵頻伽の巣立ち      梵字入りたまご仏
 
映像での解説を終えた後、作品の前に集まり、更に制作上の細部や、
ご苦労をお聴きしながら、作品を観覧した。最後に、参加者全員で
記念撮影をし、朝比奈さんへ、感謝の気持ちを伝えた。
作品の細部説明を聴く           全員で記念撮影

定例会を終え、レストランへ移動し、昼食歓談した。参加者も27名と
大賑わい。朝比奈さんのご好意で梵字入りたまご仏の抽選会があり
3名の方が大当たりとなった
~BAC一同、朝比奈さんの更なるご活躍を心から祈念しています
(合掌)~

 

2016年12月12日月曜日

川越大師 喜多院参拝、文化財も見学!


12月10日(土)、荻窪東の会で川越大師 喜多院を参詣。西武新宿線
高田馬場駅で待ち合わせする人、鷺宮駅や上石神井駅から乗り込む人
など13名が本川越駅に集合し、喜多院へ徒歩で向かった。

喜多院のご住職が中村さん(荻窪東メンバー)のご親戚とあって、大変な
歓待を受けた。最初に、ご住職から喜多院の縁起についてご説明があった。
江戸城から移築された客殿の隣に仏間があり、こちらが本来の本堂である
とのことだ。

須弥壇には阿弥陀如来を中尊に左脇侍に不動明王、右脇侍に毘沙門天の
三尊像で祀られている。(比叡山横川での形式。) ご本尊として伝えられて
いる像は三尊像右側、小ぶりの阿弥陀如来であると解説された。

須弥壇の左前には天海僧正の像が、ご本尊を護るように、睨みを効かして
鎮座されている。川越の大火で喜多院が燃えた時、「爺の寺が燃えた」と
言って、家光が直ぐに、江戸城から移築したとのこと。天海と江戸幕府の
親密ぶりを物語っている。

今は、元三大師堂が本堂とされる。これは浅草寺では伝法院が本来の
本堂であるにもかかわらず、観音堂が本堂となっている関係と同じとの
ご説明をされた。

先々代の塩入亮忠(しおいりりょうちゅう)住職は浅草寺から、喜多院に
来られ、廃れたお寺の再建に努め、更に先代へと引継ぎ、伽藍が整備
されていったとのことだ。今でも浅草寺との繋がりも強いように思えた。

ご住職のお話を伺った後、徳川家光公誕生の間や春日野局化粧の間
などの文化財を拝見して廻った。11時半からは本堂(元三大師堂)での
護摩修行にも参加させて頂く。
客殿 書院の廊下から庭を望む     小堀遠州作庭の庭 
 
大師堂への渡り廊下
 
11時半の護摩修行に間に合うように少し、早めに大師堂へ移動していた。
個別の申込みをしない限り、護摩壇を正面にした場所には着席できない。
2名の申込み者だけでなく全員、正面の席に座らさせて頂いた。参加者は
大変、感激する。「南無大師 常住金剛」
 
お大師さまと言えば弘法大師が一般的。然しながら、天台宗寺院での
厄除け大師と言えば、元三大師良源。調布の深大寺や上野の寛永寺など
には元三大師が祀られている。
護摩修行の様子(ネット写真)
 
護摩修行の後、特別室へご案内され、ご住職のお母さま、お嬢様から
お茶と焼き団子でのおもてなしを受けた。
歓談中の参加者
 
次に、五百羅漢像が鎮座するエリアへ向かった。この像は1782年から
1825年の約50年間にわたり建立されたそうだ。十大弟子、十六羅漢を
含め533尊者のほか、中央高座に中尊・釈迦如来、左脇侍に普賢菩薩、
右脇侍に文殊菩薩、更には、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を
合わせると538体の像となる。
 
それぞれの表情を見て、勝手な想像をし、大笑いしながらぐるぐる廻った。
修復の跡が残る像が目に付いた。雨風に晒されると傷みを避けられない。
何か対策はないものだろうか。
五百羅漢像を眺めながら、歓談する参加者
 
五百羅漢像を拝観した後、大師堂を背にして記念撮影をする。寒さに肩を
寄せ合っているようにも見える。皆さん、優しそうなお顔。
(実際も、優しい方々です)
 
記念撮影を済ませた後、境内や近隣の堂宇を見学する。国の重文指定
された建造物もあり、じっくり眺めた。
 元三大師堂を背に記念撮影 
慈眼堂の解説文         慈眼堂(国重文)
東照宮拝殿・幣殿の解説          仙波東照宮
 
仙波東照宮の階段      成田山川越別院 本行院
 
川越成田山が川越大師と並んであり、共に関東三十六不動尊霊場の
札所となっていることも面白い。川越成田山27番、川越大師28番の札所。
 
昼食は近くのお蕎麦屋さん。お店の予約も、喜多院の方にして頂いた。
予定時間に到着し、全員揃って着席する。楽しく歓談しながら舌鼓を打つ。
ちょっと一杯の人も数名。
 
最後は、レトロな街並みを歩き、気に入った店に入り、お土産を買ったり、
試食をしたりする。人出も多く、賑やかな様子は、お祭りそのもの。
川越は一年中お祭りなのかもしれない。 
時の鐘          漬物店で試食中
 
本当に最後は、蓮馨寺(れんけいじ)のおびんずる様を撫でて、中村さん
お勧めの焼き団子を頂き、結びとする。
ちょうど3時に蓮馨寺の梵鐘を鳴らしていた。鐘の数が18回であり、何を
意味しているのか想像していた。
 
運良く、鐘を撞いていた方を見かけ、どなたかが質問を投げかけたところ、
蓮馨寺の縁起に関わるお話を聴かせて頂いた。18と言う数は「関東十八檀林」
から来ていることのようだ。徳川家康が江戸幕府を開くと、浄土宗十八檀林の
制を設けた。檀林とは僧侶の大学であり、幕府の庇護されたとのことだ。
 
わずかな疑問から新しい知識を得て、成程と皆さん感心していた。
蓮馨寺のおびんずる様を撫でる     蓮馨寺の縁起
 
今回は、中村さんのご尽力で楽しく、大満足の一日となった。
喜多院の皆様にはお礼の申し上げようがない。深謝。(合掌)

 
 
 

2016年12月11日日曜日

「空海研究会」弘法大師御誕生所 善通寺を参詣!


12月7日~8日、弘法大師御誕生所の総本山 善通寺参詣のため、
四国を訪れた。参加者は「空海研究会」会員三十数名中、16名。
弘法大師の足跡を辿る旅の一部をご紹介したい。

「空海研究会」について、若干触れておきたい。「空海研究会」とは
空海研究の第一人者として御高名の福田亮成先生が主宰される会
であり、月1回、東上野 真言宗智山派の寺院 摩尼山成就院にて
開かれている。

福田先生は、成就院の長老、大正大学名誉教授、川崎大師
教学研究所所長等、数多くの役職に就かれている。
昨年3月までは、真言宗智山派総本山智積院の専修学院長
として修行僧ご指導の任にも当たられていた。

空海著作「弁顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)」から
「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」まで、6つの著作について、
福田先生のご講義を拝聴している。会は10年以上も続いて
いるとのことであり、私自身、平成25年2月から会員に
加えて頂き、今日に至っている。

会員の半数はお寺のご住職であり、僧籍のない、門外漢の
私にはやや難解の部分もある。福田先生がテーマに関連して
話される卑近な実例を頼りに何とか消化している。
とりわけ、仏像と関連する話題は特に興味津々。

◎今回の旅程
昨年の高野山参詣に続き、2度目の参加となる。
(会としは3度目のようだ。)
旅程は以下の通り。往路は羽田から高松空港、
復路は松山空港から羽田。

12月7日(水)・・・1.旧金毘羅大芝居[金丸座] 2.金刀比羅宮
            3.満濃池 4.丸亀城 5.(宿泊ホテル)琴参閣
12月8日(木)・・・1.総本山 善通寺 2.石手寺 3.子規記念博物館
         (3については、別行動で道後温泉コースとに分かれる) 
今回ご紹介するのは7日の「3.満濃池」と8日「総本山 善通寺」。
いずれも弘法大師と所縁が深い。

☆☆ 満濃池 ☆☆
池畔に立つ掲示板「満濃池略史」に次のように書かれている。
「空海は池畔の護摩壇上で秘法を修し加護を祈りつつ弓状堤防など
の指図と説法をされた。人びと空海の徳を慕い嬉々として集まり僅か
三か月でみごと難工事を仕上げた。」

弓状堤防としたことで押し寄せる水圧を分散させ、洪水となることを
防止した。1200年も前の話とは到底思えない科学的な見識での対応。
一方、護摩壇上で修法する、科学を超えた対応。満濃池と護摩壇上の
出島を眺めながら、1200年前に思いを馳せる。
「満濃池略史」掲示板     満濃池と護摩壇となった出島
 
護摩壇となった場所を確認      満濃池を背に記念撮影
 
☆☆ 総本山 善通寺 ☆☆
善通寺には誕生院〔西院〕と伽藍〔東院〕とがある。西院は佐伯家の
邸宅跡に御影堂が建てられ、誕生院となっている。東院は長安・青龍寺を
模して伽藍が建てられ、伽藍と呼ばれている。
(善通寺のパンフレットに記載)
 善通寺のパンフレットから
善通寺の境内案内図
 
済世橋を渡り、禅宗風の門をくぐると西院の境内に入る。左手にパゴダ
供養塔が見える。その奥にある「遍照閣」と呼ばれる大きな堂宇がある。 
          西院の西側 済世橋          西院に入る門
 
1.誕生院〔西院〕
遍照閣には大勢の人が集まっていた。先達研修が行われている。
お遍路の四国ならではの光景だ。窪さんと言うお名前の若いお坊さんに
境内をご案内して頂く。四国霊場三十七番札所 岩本寺副住職をされて
いる方で、福田先生の教え子に当たるようだ。
(岩本寺は、高知県高岡郡四万十町にある真言宗智山派の寺院)
最初に、御影堂参拝へ向かう。
遍照閣
 
御影堂での参拝
御影堂              御影堂 外陣
 
御影堂の内陣
 
御影堂での参拝を済ませ、廻廊を通り、仁王門を抜け、東院の金堂
へ向かう。仁王門を背に記念撮影。東院の中門手前には塔頭寺院の
大きな石造弘法大師像が目に入る。
仁王門を背に記念撮影東院手前   観智院の弘法大師像


2.伽藍〔東院〕
金堂には像高3メートルの本尊・薬師如来座像が鎮座されている。
堂々とした体躯のご本尊だ。光背の縁は七仏薬師のように化仏が
付いている。また、光背最上部には龕(がん)と言う小部屋が
設えてあり、そこには宝塔が置かれ、その中に化仏が安置
されている。

「宝塔の中の化仏は、何ですか」と窪さんにお尋ねした。
「釈迦如来」ではないかのご回答。お釈迦さまは塔の中に安置し、
他の化仏(薬師如来か)と区別していることが興味深い。

また、左手に持つ薬壺が大きい。宝珠のような厚みのある形をしている。
どなたかが、薬がたくさん入っていて、ご利益も大きいのではないかと
言われていた。

8日は「お薬師さんの縁日」であり、法要が営まれるようだ。

本尊・薬師如来を祀る金堂(国重文)  金堂の解説文
 
ご本尊の参拝を済ませ、境内を散策した。五重塔と大楠が一際、
目を引く。五重塔は総高43m、明治35年完成、4代目の塔。
すーっと建ち、スッキリした印象を持つ。
裳階が無いことでそのように感じるかもしれない。国の重要文化財
となった建造物は流石に存在感がある。
 
大楠は樹齢千数百年の巨木。その大きさに圧倒される。空海さんの
誕生も知っているのではと想像すると、生命力をますます感じる。
また、空海の両親が祀られている佐伯祖廟が大楠のそばにあった。

五重塔(国重文)

樹齢千数百年の大楠

佐伯祖廟            説明の掲示板

3.西院に戻り、戒壇巡りと宝物館見学
金堂での参拝の後は、戒壇巡りと宝物館見学のため、入り口のある
御影堂に戻る。途中、西院の伽藍も眺めた。中で注目したものが
「親鸞堂」。他宗派の開祖を祀るとは

何と心の広いことかと感心する。何事も受け入れ、悟りへのステップと
される空海教学の真骨頂ではないかと思う。

また、「親鸞上人御尊像由来」の解説板を読むと、空海が、法然や親鸞
からも尊敬されていたことも良く分かる。
親鸞堂             親鸞上人御尊像由来

親鸞堂の隣にある閻魔堂
☆戒壇巡り
御影堂の中にある入り口から入り、戒壇巡りを始めた。真っ暗な中、
左手で壁を触りながら、前へ進む。大勢で一緒に巡るから、安心して
いられる。もし、一人で行うとなると、少し不安となり、何かを感じる
のだろうか? 
 
☆宝物館
宝物館で見学したいものは、仏像彫刻。展示の名品26品のうち、
仏像は15品と多い。地蔵菩薩立像、吉祥天立像は国重文の仏像
であり、見応えもある。五大明王のところで、福田先生が、
「前に立った時、ぐっと迫って来る仏像と、そうではない像とがある」
 と、話された。感じ方は人によっても、その時の気分によっても
違うように思える。
 
一番注目したのは銅造鍍金の阿弥陀如来立像。肉髻が平べったい
形をしており、鎌倉期造立の特徴を備えている。出品リストで確認した
ところ、間違いなく鎌倉時代の作と分かり、納得。
鎌倉時代は木彫像が主流であり、銅造の像は珍しいように思う。
最近、銅造の像に個人的関心が高まっている。 
寺宝名品展 出品リスト
 
4.遍照閣で福田先生、真鍋俊照師と談笑
宝物館見学を終え、バスの駐車場へ向かう。遍照閣では、福田先生が
どなたかと談笑されていた。
曼荼羅研究の大家 真鍋俊照(まなべ しゅんしょう)師であるとご紹介
して頂いた。金沢文庫の古文書が国宝指定を受けたことを記念して、
来年に講演会を開かれるとお聞きした。ぜひ拝聴したい。
 
真鍋俊照師は四国大学教授、仏画家、真言宗大僧正、四国霊場
第四番大日寺住職。(大日寺は徳島県板野郡板野町にある
東寺真言宗の寺院)  過去に金沢文庫の学芸員もされていた。
(ネットで確認させて頂いたプロフィール)
真鍋師をご紹介される福田先生       記念撮影
 
昨年の高野山に続き、善通寺参詣に参加でき、楽しいひと時を
過ごさせて頂いた。これも、空海研究会に加えて頂いたお蔭であり、
福田先生には深く感謝申し上ます。
 
幹事の菊地さん、大変お疲れ様でした。名幹事に脱帽。美声・名調子
にも驚きました。
同室の酒井さん、栗原さん、色々お世話になりました。更に懇親を深めたい。
工藤さんには旧金毘羅大芝居[金丸座]へのご案内頂いた。
グッドチョイスに感謝。
今回 ご参加の 皆様 来年もご一緒できることを願っております。(合掌)