2017年5月20日土曜日

京都の古刹巡り②~浄瑠璃寺、岩船寺~


5月11日(木)朝早く京都のホテルを出て、近鉄奈良駅に向かう。
奈良駅前から少し離れた所に、浄瑠璃寺行きのバス停がある。
乗車時間は20数分と短い。

1.浄瑠璃寺
  山門を抜け、境内に入ると、正面は池。右手に本堂、左手に三重塔
  が見える。山門が境内の北方にあり、本堂は西側、三重塔は東側に
  位置する。
  
  浄瑠璃寺の本尊は、創建時は薬師如来であり、現在は九体の阿弥陀
  如来となっている。寺名が示す通り、浄瑠璃世界の薬師如来を祀る寺で
  あったことが分かる。
  創建は1047年、宇治の平等院鳳凰堂ができる5年前になる。現在の
  宗派は奈良西大寺を総本山とする真言律宗。
浄瑠璃寺地域の解説板    浄瑠璃寺境内の伽藍配置

山門            池と本堂

本堂の裏廊下

  先ずは、本堂(九体阿弥陀堂)をお参りする。本堂の背面にある廊下を
  通り、南側の入口へ回りこみ、堂内へ入る。中では大勢の人が坐って、
  ご本尊と対面しながら、ご住職の話に耳を傾けている。どうやら、広島
  から団体で参拝に来られた方々のようだ。端に座り、一緒に拝聴した。
  入って来た南の入口を指して、そこから200メートル先は奈良県と
  言われた。行政上は京都府であっても、歴史的、地理的には奈良県の
  エリアと思われる。
 【本堂の諸尊像】
  堂内安置の諸尊像はすべて、国宝もしくは重文。入って直ぐ眼にする
  のは四天王の持国天(前)と増長天(後)(①)。広目天は東博、多聞天は
  京博に寄託されている。四天王が4体揃っていないのはちょっと寂しい。
  中央には阿弥陀如来中尊像が鎮座し、左右には中尊に比し小ぶりの
  阿弥陀如来が4体ずつ並んでいる(③)。 また、中尊像の左右には、
  吉祥天女像(②)と子安地蔵菩薩像(四)が立っている。 

  両尊像とも福徳を与えてくれる有難い仏様。一番の奥には不動三尊像
  が並んでいる。
(浄瑠璃寺発行の冊子から)
①国宝 持国天・増長天 ②重文 秘仏・吉祥天女像

③国宝 九体阿弥陀仏

④重文 子安地蔵菩薩像 ⑤重文 不動明王三尊像

  ご住職の法話が面白く、皆さん熱心に耳を傾けていた。往生の仕方は、
  生前の信心と善行によって、上の上から下の下の9通りのランクあると
  言う。9通りに合わせて、阿弥陀さまが9体祀られている。ご自分はどの
  ランクだと思いますかとの質問にどっと笑い声が起こる。

  また、不動明王三尊像ついての紹介があった。 日頃の生活を振り返って、
  少し智慧が足りないと思われる方は手前の制多迦童子を、慈悲が足りない
  と思われる方は奥の矜羯羅童子を拝んでください。

  本堂をお参りした後は、境内庭園をぐるりと回った。本堂の反対側には
  薬師如来を祀る三重塔がある。三重塔から眺める本堂の景色は正に
  西方極楽浄土のイメージ。

国宝 三重塔       国宝 本堂(九体阿弥陀堂)

当尾地域の解説

2.岩船寺
  浄瑠璃寺からコミュニティバスに乗り、10分弱で岩船寺に到着。山門を
  通り、境内に入ると、石塔、石仏が目に付く。受付で渡されたリーフレット
  によると、岩船寺縁起に登場する人物が凄い。聖武天皇が行基に命じて
  阿弥陀堂を建立したことが起源。
  
  その後、弘法大師と甥の智泉が灌頂堂を建立、更には嵯峨天皇が智泉
  に勅命で、皇孫誕生祈願をさせたところ、皇子(仁明天皇)が誕生した。
  そこで、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が堂塔伽藍を整備し、寺号が岩船寺と
  なったとある。

  本堂に入る前に、境内の石塔、石仏を眺めながら歩いた。鎌倉時代に造立
  されたとある。
岩船寺の境内図       岩船寺山門

重文 五輪石塔   厄除け地蔵菩薩

重文 石室不動明王立像       本堂

  本堂に入ると中尊の阿弥陀如来像の大きさに驚いた。ご住職の解説を
  お聴きしながら、拝観した。像高3メートル、ケヤキの一木造り。胎内の
  墨書銘で造立年が946年が判明している。ご住職は、宇治平等院鳳凰堂
  の阿弥陀如来より107年早くにできていることを強調されていた。

  お顔立ちも、良く似ているように見えた。しかも、これだけの大きな像が
  一木造りと聞いて、更に感心した。周りを囲む四天王は鎌倉時代の作。
  多聞天像は、東京の三井記念美術館「西大寺展」にご出張中と伺った。

本尊 阿弥陀如来坐像

  また、堂内には、たくさんの寺宝が安置されている。ぜひ、拝観したいと
  思っていた重文の普賢菩薩騎象像も、東京での西大寺展に出陳されており、
  お会いすることができなかった。ぜひ、三井記念美術館でお目にかかり
  たい。
  
  ご住職の話によると、本堂は国の補助に頼らないで、寄付で再建された
  そうだ。入母屋造り本瓦葺本堂とすることができ、鉄筋コンクリートの建物
  (収蔵庫か?)にならなくて良かったと喜ばれていた。

  本堂のお参りを済ませ、再び、境内をぐるりと散策した。高低差があり、
  程よい運動にもなる。

重文 十三重石塔   重文 三重塔

歓喜天堂        歓喜天の解説板

重文 白山神社本殿  春日神社社殿


  境内と隣接するように、神社の社殿がある。白山神社と春日神社が
  並んで建っている。頂いたリーフレットによると、白山神社は749年、
  岩船寺伽藍守護のために建立されたとある。正に神仏習合。
  
  岩船寺の拝観を済ませ、再びコミュニティバスに乗り、浄瑠璃寺バス停
  に行き、バスを乗り換えて近鉄奈良駅へ戻った。午後からは「快慶展」
  を堪能する。

 




2017年5月17日水曜日

京都の古刹を巡り、奈良博で「特別展 快慶」を観覧‼


5月10日(水)~12日(金)、京都の古刹を巡り、同時に奈良博で
開催中の『特別展快慶 日本人を魅了した仏のかたち』を観覧した。

☆訪れた寺院は・・・
 10日(水)…三千院、来迎院
 11日(木)…浄瑠璃寺、岩船寺、奈良博「特別展 快慶」
 12日(金)…東寺、仁和寺、渉成園

先ずは、三千院と来迎院をリポート。

◎三千院 (京都市左京区大原来迎院町540)

 京都バスC3乗り場から大原行きのバスに乗り、1時間。大原バス停
 から10分で到着。京都とは言え、移動に時間がかかる。当初の予定は、
 三千院からスタートし、勝林院、来迎院、音無の滝、寂光院の順に巡る
 つもりであった。時間的にも、体力的にも無理と諦めることとなった。

 バス停を降りると、三千院参道約600m(徒歩10分)の標識を目にする。
 標識に従って進むと、梶井三千院門跡の石柱が見えた。
山門への参道          境内図
 
 三千院の縁起や往生極楽院、阿弥陀如来両脇侍坐像についての
 解説板がある。阿弥陀如来両脇侍像が重要文化財と記されている。
 2002年に国宝に指定されている。従って、この解説板は2002年
 以前に設置されたまま、修正されていない。

 お城の門のような山門が現れる。御殿門の名の通り、堅牢な石垣の
 中に設けられた門はお城そのもの。この石垣は近江・坂本の穴太衆
 (あのうしゅう)と呼ばれる石工によって築かれた。
解説板          御殿門(山門)

 拝観受付を済ませ、中書院、客殿、宸殿と進む。建物内部の設えを
 眺めながら、祀られている仏様を礼拝する。また、外側に目を移すと
 一面、緑の庭園がある。心が和む。宸殿には、伝教大師作と伝えられる
 秘仏・薬師瑠璃光如来が安置されている。

庭園             宸殿

 宸殿まで拝観した後は、手に持った靴を履き、往生極楽院へと向かう。
 途中、三千院の庭についての解説板がある。聚碧園(しゅうへきえん)
 と有清園(ゆうせいえん)と命名された庭の特徴が解説されている。 
庭園の解説板        往生極楽院

 三千院参詣、最大の目的は国宝の阿弥陀三尊像を拝観することにある。
 舟底天井が中尊・阿弥陀如来の光背を覆うようになっている。ちょっと
 窮屈な感じすらする。

 観音菩薩、勢至菩薩の坐り方が特徴であり、ぜひ横から拝観して、
 今にも立ち上がりそうな姿勢を確認したかった。残念ながら、正面からの
 拝観しか許可されなかった。 

 半眼で、来迎印を結ぶ阿弥陀、蓮台を捧げ持つ観音、合掌する勢至と
 阿弥陀三尊の典型的なスタイルをしている。勢至頭上の水瓶もしっかり
 確認できた。
(三千院紹介冊子から)
阿弥陀三尊像(国宝)

右脇侍・勢至菩薩     中尊・阿弥陀如来      左脇侍・観音菩薩

 往生極楽院を出て、境内を散策した。わらべ地蔵、弁財天、金色不動堂、
 観音堂、二十五菩薩 慈眼(じげん)の庭と順に巡る。
庭園           わらべ地蔵

弁財天        金色不動堂

境内の案内板      二十五菩薩 慈眼の庭

 大原の石仏と言われる阿弥陀如来坐像は像高2.25mと大きい。
 鎌倉中期に、念仏行者によって造られたとのこと。また、この石仏は
 「売炭翁(ばいたんおう)石仏」とも呼ばれる。売炭翁とは炭の生産販売
 に従事する人のことを指すそうだ。
 この一帯に売炭翁が暮らしていたことを物語る。その人たちに信仰されて
 いたとも想像できる。

 最後に、重要文化財収蔵施設「円融蔵(えんにゅうぞう)」で、復元
 された舟底天井画を眺めた。 音楽を奏でる菩薩の様子が描かれていた。

鎌倉時代の石仏     阿弥陀如来坐像

 三千院を出て、来迎院へ向かう。呂川(りょせん)沿いを歩いて東へ進むと
 来迎院に着く。

◎来迎院 (京都市左京区大原来迎院町537)

 来迎院は平安時代初期(9世紀)、天台宗の円仁によって声明
 (しょうみょう)の修練道場として開創され、12世紀、良忍によって
 再興された。本尊として三如来が安置されている。
 本尊が三体とはあまり無い。しかも三体とも重文の指定を受けている。

 来迎院へ向かう道路脇には良忍上人絵伝の解説板が設置されている。
 末法思想が広がる中、大原が念仏の里となったことを物語る。

 大原は呂川、律川(りつせん)に挟まれている。呂律(ろれつ)が
 回らないと言う言葉がある。呂律とは中国から伝わった雅楽の言葉
 らしい。川の命名と声明発祥とで、どちらが先か分からないものの、
 深く関わっていると思える。
来迎寺への道路脇にある        参道入口
         良忍上人絵伝解説板  

 受付で拝観料を納めると、お坊さんから「初めてですか?」と聞かれる。
 「初めて」と答えると、お寺やご本尊について、その場でご説明された。
 ご本尊が3体となったのは、他寺院の焼失で、来迎院に安置されるように
 なったとのこと。
境内の本堂参拝入口          本堂

 薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来はいずれも藤原時代の作で、漆箔、
 寄木造り。脇侍として、本尊の左側に毘沙門天、右側に不動明王を
 配している。
 
 来迎院の寺名からして、元々のご本尊は阿弥陀如来であったと
 思われる。釈迦如来と薬師如来は移座されてきたのだろうと想像する。
 それでは、この配置は何を基準としたのだろうか? 三世仏だろうか? 
 三世仏について今一度調べてみようと思った。

(ネットの写真)
本尊(3体とも重文)
阿弥陀如来 薬師如来 釈迦如来

  来迎院での拝観を終え、大原バス停へ戻る。景色はイメージ通りの
 「大原の里」。
大原の風景

 「浄瑠璃寺・岩船寺」 「奈良博 快慶展」 「東寺・仁和寺・渉成園」に
 ついてはまた日を改めてリポート予定。




  

2017年5月14日日曜日

鎌倉の覚園寺参詣し、国宝館で慶派の仏像を観覧!



昨日、雨の中、鎌倉の覚園寺を訪れた。天気予報でも大雨。参加者は8名
と少人数。この雨にも関わらず、ご参加される本当に熱心な方々揃い。
雨の場合は、ご開扉されないこともある。鎌倉駅に着くなり、覚園寺に電話
で確認する。拝観可能と分かり、駅のホームで期せずして、拍手が起こった。
鎌倉駅前からバスに乗り、終点の大塔宮で下車し、覚園寺まで徒歩で約8分。

覚園寺山門への階段横に立てられた解説版を眺める

境内に入り、愛染堂を参拝

愛染堂参拝後、傘を差しながら境内で歓談していると、予定の時刻より早く、
ご住職がお見えになり、ご案内して頂いた。最初に、愛染堂の仏さまをご紹介
された。中央が愛染明王、向かって左側に 阿閦如来、右側に不動明王、その
右側には覚園寺創建所縁のお坊さん達が居並ぶ。

阿閦如来は薬師如来と同様に東方世界を守護する仏様。不動明王は鉄仏で、
大山寺の不動明王 試みの像とのご説明があった。鉄製の仏像は珍しい。
覚園寺の境内図
〇印がご案内頂いたお堂

いよいよ、境内の奥へとご案内され、薬師堂の中へ入る。薬師三尊像が
でんと鎮座。両目を見開き、衣が台座を覆うように垂れ下がる「法衣垂下
(ほうえすいか)」となっている。これは、宋風のスタイルであり、我々の方へ
向かってくれている姿を表しているとのご説明。確かに、半眼ですました表情
に比べ、親近感が持てる。

注目したのは両脇侍の光背に荘厳された迦陵頻伽像。以前、金沢文庫で
拝見したことがある。阿弥陀さんの西方極楽に住む鳥がなぜ、東方の
お薬師さんの脇侍にいるのか不思議だ。ご住職は冗談交じりに、今は
西側の月光菩薩の光背に移ったと話されていた。

お堂の両側には十二神将が干支の順に並んでいた。自分の干支に該当
する神将像の前で、皆さん手を合わせていた。
また、天井には征夷大将軍 足利尊氏の銘が書かれている。足利尊氏が
寺院再建を果たしたことの証との解説があった。
薬師三尊像          十二神将像

続いて、黒地蔵の解説があった。印象に残ったことは、唇が厚いと
言うこと。残念ながら暗くて、目で確認することはできなかった。
8月10日の縁日には拝観できるようだ。
ネットで調べてみたところ、確かに厚いことを確認できた。

黒地蔵像

覚園寺でのご案内も、雨のために短くなり、旧内海家住宅や
十三仏やぐらなどは拝観できなかった。解説が早口のため、
若干聞き取りできなかったことが残念。
雨が激しくなる中、バスで八幡宮まで戻り、近くの店で昼食を
頂いた。午後からは鎌倉国宝館で「鎌倉の至宝~優美なる
慶派のほとけ~」を観覧することとなった。

見どころは、パンフレットにも掲載の通り、秦野市・金剛寺、
鎌倉市大町・教恩寺に所蔵の阿弥陀如来及び両脇侍像。
金剛寺の両脇侍像が仏師肥後定慶(ひごじょうけい)の作品
に通じるものがあること。

教恩寺の中尊・阿弥陀如来像が仏師快慶の作品に酷似
しているようだ。衣の重なりが腹前でV字になっているのは
快慶初期の作品と同じようになっている。
奈良博「快慶展」にそのような解説がなされていた。

鎌倉の至宝「優美なる慶派のほとけ」 パンフレット
表紙          見開き

その他、印象に残った仏像は、平常展示に出品の寿福寺・木造地蔵菩薩
立像と特別展示に出品の寿福寺・銅造 薬師如来坐像。

地蔵菩薩は頭の先から足下の蓮華座までを一本の木で彫り出したと
あるから驚く。同じ一木造りでも、凄さが格別と言える。また、銅造の
薬師如来座像を拝観することも少なく、幸運に思えた。この像は元々
鶴岡八幡宮の境内に創建された神宮寺のご本尊だったようだ。

明治の神仏分離令で鶴岡八幡宮から寿福寺へ移されたようだ。
両像とも重要文化財となっており、鎌倉幕府の歴史を感じさせる像
と言える。

寿福寺の仏像
木造地蔵菩薩立像(重文) 銅造薬師如来坐像(重文)