2017年5月14日日曜日

鎌倉の覚園寺参詣し、国宝館で慶派の仏像を観覧!



昨日、雨の中、鎌倉の覚園寺を訪れた。天気予報でも大雨。参加者は8名
と少人数。この雨にも関わらず、ご参加される本当に熱心な方々揃い。
雨の場合は、ご開扉されないこともある。鎌倉駅に着くなり、覚園寺に電話
で確認する。拝観可能と分かり、駅のホームで期せずして、拍手が起こった。
鎌倉駅前からバスに乗り、終点の大塔宮で下車し、覚園寺まで徒歩で約8分。

覚園寺山門への階段横に立てられた解説版を眺める

境内に入り、愛染堂を参拝

愛染堂参拝後、傘を差しながら境内で歓談していると、予定の時刻より早く、
ご住職がお見えになり、ご案内して頂いた。最初に、愛染堂の仏さまをご紹介
された。中央が愛染明王、向かって左側に 阿閦如来、右側に不動明王、その
右側には覚園寺創建所縁のお坊さん達が居並ぶ。

阿閦如来は薬師如来と同様に東方世界を守護する仏様。不動明王は鉄仏で、
大山寺の不動明王 試みの像とのご説明があった。鉄製の仏像は珍しい。
覚園寺の境内図
〇印がご案内頂いたお堂

いよいよ、境内の奥へとご案内され、薬師堂の中へ入る。薬師三尊像が
でんと鎮座。両目を見開き、衣が台座を覆うように垂れ下がる「法衣垂下
(ほうえすいか)」となっている。これは、宋風のスタイルであり、我々の方へ
向かってくれている姿を表しているとのご説明。確かに、半眼ですました表情
に比べ、親近感が持てる。

注目したのは両脇侍の光背に荘厳された迦陵頻伽像。以前、金沢文庫で
拝見したことがある。阿弥陀さんの西方極楽に住む鳥がなぜ、東方の
お薬師さんの脇侍にいるのか不思議だ。ご住職は冗談交じりに、今は
西側の月光菩薩の光背に移ったと話されていた。

お堂の両側には十二神将が干支の順に並んでいた。自分の干支に該当
する神将像の前で、皆さん手を合わせていた。
また、天井には征夷大将軍 足利尊氏の銘が書かれている。足利尊氏が
寺院再建を果たしたことの証との解説があった。
薬師三尊像          十二神将像

続いて、黒地蔵の解説があった。印象に残ったことは、唇が厚いと
言うこと。残念ながら暗くて、目で確認することはできなかった。
8月10日の縁日には拝観できるようだ。
ネットで調べてみたところ、確かに厚いことを確認できた。

黒地蔵像

覚園寺でのご案内も、雨のために短くなり、旧内海家住宅や
十三仏やぐらなどは拝観できなかった。解説が早口のため、
若干聞き取りできなかったことが残念。
雨が激しくなる中、バスで八幡宮まで戻り、近くの店で昼食を
頂いた。午後からは鎌倉国宝館で「鎌倉の至宝~優美なる
慶派のほとけ~」を観覧することとなった。

見どころは、パンフレットにも掲載の通り、秦野市・金剛寺、
鎌倉市大町・教恩寺に所蔵の阿弥陀如来及び両脇侍像。
金剛寺の両脇侍像が仏師肥後定慶(ひごじょうけい)の作品
に通じるものがあること。

教恩寺の中尊・阿弥陀如来像が仏師快慶の作品に酷似
しているようだ。衣の重なりが腹前でV字になっているのは
快慶初期の作品と同じようになっている。
奈良博「快慶展」にそのような解説がなされていた。

鎌倉の至宝「優美なる慶派のほとけ」 パンフレット
表紙          見開き

その他、印象に残った仏像は、平常展示に出品の寿福寺・木造地蔵菩薩
立像と特別展示に出品の寿福寺・銅造 薬師如来坐像。

地蔵菩薩は頭の先から足下の蓮華座までを一本の木で彫り出したと
あるから驚く。同じ一木造りでも、凄さが格別と言える。また、銅造の
薬師如来座像を拝観することも少なく、幸運に思えた。この像は元々
鶴岡八幡宮の境内に創建された神宮寺のご本尊だったようだ。

明治の神仏分離令で鶴岡八幡宮から寿福寺へ移されたようだ。
両像とも重要文化財となっており、鎌倉幕府の歴史を感じさせる像
と言える。

寿福寺の仏像
木造地蔵菩薩立像(重文) 銅造薬師如来坐像(重文)



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