5月11日(木)朝早く京都のホテルを出て、近鉄奈良駅に向かう。
奈良駅前から少し離れた所に、浄瑠璃寺行きのバス停がある。
乗車時間は20数分と短い。
1.浄瑠璃寺
山門を抜け、境内に入ると、正面は池。右手に本堂、左手に三重塔
が見える。山門が境内の北方にあり、本堂は西側、三重塔は東側に
位置する。
浄瑠璃寺の本尊は、創建時は薬師如来であり、現在は九体の阿弥陀
如来となっている。寺名が示す通り、浄瑠璃世界の薬師如来を祀る寺で
あったことが分かる。
創建は1047年、宇治の平等院鳳凰堂ができる5年前になる。現在の
宗派は奈良西大寺を総本山とする真言律宗。
浄瑠璃寺地域の解説板 浄瑠璃寺境内の伽藍配置
山門 池と本堂
本堂の裏廊下
先ずは、本堂(九体阿弥陀堂)をお参りする。本堂の背面にある廊下を
通り、南側の入口へ回りこみ、堂内へ入る。中では大勢の人が坐って、
ご本尊と対面しながら、ご住職の話に耳を傾けている。どうやら、広島
から団体で参拝に来られた方々のようだ。端に座り、一緒に拝聴した。
入って来た南の入口を指して、そこから200メートル先は奈良県と
言われた。行政上は京都府であっても、歴史的、地理的には奈良県の
エリアと思われる。
言われた。行政上は京都府であっても、歴史的、地理的には奈良県の
エリアと思われる。
【本堂の諸尊像】
堂内安置の諸尊像はすべて、国宝もしくは重文。入って直ぐ眼にする
のは四天王の持国天(前)と増長天(後)(①)。広目天は東博、多聞天は
京博に寄託されている。四天王が4体揃っていないのはちょっと寂しい。
のは四天王の持国天(前)と増長天(後)(①)。広目天は東博、多聞天は
京博に寄託されている。四天王が4体揃っていないのはちょっと寂しい。
中央には阿弥陀如来中尊像が鎮座し、左右には中尊に比し小ぶりの
阿弥陀如来が4体ずつ並んでいる(③)。 また、中尊像の左右には、
吉祥天女像(②)と子安地蔵菩薩像(四)が立っている。
両尊像とも福徳を与えてくれる有難い仏様。一番の奥には不動三尊像
が並んでいる。
阿弥陀如来が4体ずつ並んでいる(③)。 また、中尊像の左右には、
吉祥天女像(②)と子安地蔵菩薩像(四)が立っている。
両尊像とも福徳を与えてくれる有難い仏様。一番の奥には不動三尊像
が並んでいる。
(浄瑠璃寺発行の冊子から)
①国宝 持国天・増長天 ②重文 秘仏・吉祥天女像
③国宝 九体阿弥陀仏
④重文 子安地蔵菩薩像 ⑤重文 不動明王三尊像
ご住職の法話が面白く、皆さん熱心に耳を傾けていた。往生の仕方は、
生前の信心と善行によって、上の上から下の下の9通りのランクあると
言う。9通りに合わせて、阿弥陀さまが9体祀られている。ご自分はどの
ランクだと思いますかとの質問にどっと笑い声が起こる。
また、不動明王三尊像ついての紹介があった。 日頃の生活を振り返って、
少し智慧が足りないと思われる方は手前の制多迦童子を、慈悲が足りない
と思われる方は奥の矜羯羅童子を拝んでください。
本堂をお参りした後は、境内庭園をぐるりと回った。本堂の反対側には
薬師如来を祀る三重塔がある。三重塔から眺める本堂の景色は正に
西方極楽浄土のイメージ。
国宝 三重塔 国宝 本堂(九体阿弥陀堂)
当尾地域の解説
2.岩船寺
浄瑠璃寺からコミュニティバスに乗り、10分弱で岩船寺に到着。山門を
通り、境内に入ると、石塔、石仏が目に付く。受付で渡されたリーフレット
によると、岩船寺縁起に登場する人物が凄い。聖武天皇が行基に命じて
阿弥陀堂を建立したことが起源。
その後、弘法大師と甥の智泉が灌頂堂を建立、更には嵯峨天皇が智泉
に勅命で、皇孫誕生祈願をさせたところ、皇子(仁明天皇)が誕生した。
そこで、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が堂塔伽藍を整備し、寺号が岩船寺と
なったとある。
本堂に入る前に、境内の石塔、石仏を眺めながら歩いた。鎌倉時代に造立
されたとある。
岩船寺の境内図 岩船寺山門
重文 五輪石塔 厄除け地蔵菩薩
重文 石室不動明王立像 本堂
本堂に入ると中尊の阿弥陀如来像の大きさに驚いた。ご住職の解説を
お聴きしながら、拝観した。像高3メートル、ケヤキの一木造り。胎内の
墨書銘で造立年が946年が判明している。ご住職は、宇治平等院鳳凰堂
の阿弥陀如来より107年早くにできていることを強調されていた。
お顔立ちも、良く似ているように見えた。しかも、これだけの大きな像が
一木造りと聞いて、更に感心した。周りを囲む四天王は鎌倉時代の作。
多聞天像は、東京の三井記念美術館「西大寺展」にご出張中と伺った。
本尊 阿弥陀如来坐像
また、堂内には、たくさんの寺宝が安置されている。ぜひ、拝観したいと
思っていた重文の普賢菩薩騎象像も、東京での西大寺展に出陳されており、
お会いすることができなかった。ぜひ、三井記念美術館でお目にかかり
たい。
ご住職の話によると、本堂は国の補助に頼らないで、寄付で再建された
そうだ。入母屋造り本瓦葺本堂とすることができ、鉄筋コンクリートの建物
(収蔵庫か?)にならなくて良かったと喜ばれていた。
本堂のお参りを済ませ、再び、境内をぐるりと散策した。高低差があり、
程よい運動にもなる。
重文 十三重石塔 重文 三重塔
歓喜天堂 歓喜天の解説板
重文 白山神社本殿 春日神社社殿
境内と隣接するように、神社の社殿がある。白山神社と春日神社が
並んで建っている。頂いたリーフレットによると、白山神社は749年、
岩船寺伽藍守護のために建立されたとある。正に神仏習合。
岩船寺の拝観を済ませ、再びコミュニティバスに乗り、浄瑠璃寺バス停
に行き、バスを乗り換えて近鉄奈良駅へ戻った。午後からは「快慶展」
を堪能する。
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