2016年4月15日金曜日

西正さんのテーマは「仏教と万葉集」


4月定例会は22名の参加。今回のメインは西正さんの「仏教と万葉集」。
万葉集について造形の深い西さんがどのような話されるか大変興味が沸く。

先ず、朝比奈さんから4月に埼玉県春日部市の圓福寺を参拝した時の様子を
報告された。参拝の目的は、現在取り組んでいる二十五菩薩制作のヒントを
得るため。關信子先生からのご指導もあり、遠路も苦にならず訪問。

當麻曼荼羅の図像は良く見かける。圓福寺の場合は立体當麻曼荼羅として、
仏像が立体的に安置されている。写真で見ただけでも見事だ。また、
二十五菩薩が厨子入りとなっているのも珍しい。毎年4月の第一日曜日が
ご開帳とのこと。ぜひ、機会つくり拝観したい。
〔春日部市 圓福寺の仏像〕
立体當麻曼荼羅像        厨子入り阿弥陀聖衆来迎像
 

いよいよ、西さんのご発表。B5判ノートに手書きで書かれたレジュメ5枚をご準備
頂いた。
ご発表される西さん(一番手前)

(Ⅰ)万葉集とその時代区分、 (Ⅱ)仏教の伝来と興隆、 (Ⅲ)万葉集に詠まれた
仏教を3分類し、順追って話された。

時代区分では、第1期 舒明天皇即位(629年)~壬申の乱(672年)
          第2期 壬申の乱~奈良遷都(710年)
          第3期 奈良遷都~山上憶良没(733年)
          第4期 山上憶良没~天平宝字3年(759年)
の4期に分かれ、130年間に詠まれた歌が集められているとのことだ。

仏教伝来・興隆との関連で見ると、538年の仏教伝来より約90年遅く、
聖武天皇期の東大寺大仏開眼供養会(752年)とほぼ同じ時代までの
期間となる。

西さん曰く「万葉集の時代と仏教興隆の時代はほぼ重なる。それにも
拘らず、万葉集には意外なほど仏教的な色彩が薄い。しかし中身を
よく見ると、日本の和歌に新しい風を吹きこんでいると思われる。」

仏教との関連性が見られるものを4つの視点【①金出土 ②相聞 
③仏教文化 ④僧侶の歌】から紹介された。

①金出土については東大寺の大仏開眼供養を控えて時期に詠まれた
ものであり、正に仏教礼賛と言える。
  『天皇(すめろき)の御代栄えむと東(あずま)なる陸奥山
  (みちのくやま)に金(くがね)花咲く』 (大伴家持 18-4097)

③の仏教文化では鐘を取り上げて、解説された。そしてこの鐘がどの
寺の鐘かについての考察も大変興味深く拝聴した。
  『皆人を寝(ね)よとの鐘は打つなれど君をし思へは寝(い)ねかてぬかも』
  (笠女郎 4-607)
鐘の製造年代と家持の在京期間を突き合わせて考えると、東大寺か薬師寺の
鐘ではないだろうかとのこと。こういう楽しみ方もあると感心した。

仏教文化の中で、インドのストゥーパ(塔、釈迦の墳墓)が中国、朝鮮、日本、
どのような変遷を辿ったかについても話された。鐘については、実物の
ミニチュアをご持参され解説された。
中国鐘  韓国鐘  和鐘
 
今回のお話で、万葉集の読み方に新たな視点が加わったように感じた。
昔を思い出し再び万葉集への関心が高まった方もいるのではないだろうか。
西さんにはぜひとも、第二弾をお願いしたい。

最後に、井戸さんが今月の参拝寺院、あきるの市大悲願寺の概要に
ついて解説された。

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