22日、花小金井駅南口 スーパーピーコック前に朝7時集合し、
横須賀、三浦の古刹探訪に出かけた。参加者は22名。
好天に恵まれ、爽やかな楽しいバスツアーとなる。
竹田会長の素晴らしい寺院選定により、楽しさ倍増の探訪と
なりました。三浦氏所縁の古刹巡りで、三浦氏の歴史に一層の
興味が湧いてきた。
参拝順は・・・
①浄楽寺(横須賀芦名)
和田義盛(わだよしもり)建立の阿弥陀堂が浄楽寺の始まりのようだ。
②天養院(三浦市初声町和田)
薬師三尊像は、安楽寺(廃寺)の本尊が昭和18年に移座された。
安楽寺は、和田義盛邸宅の鬼門を守護するために建立された寺院。
③満願寺(横須賀市岩戸)
佐原十郎義連(さはらじゅうろうよしつら)建立の寺院。
④満昌寺(横須賀市大矢部)
源頼朝が三浦大介義明(みうらおおすけよしあき)の菩提を弔う
ために発願し、建立された寺院。
和田義盛は三浦義明の孫。義盛の父は義明の長男・杉本義宗。
佐原義連は三浦義明の十男。和田義盛とは甥、叔父の関係。
1.浄楽寺 【金剛山 勝長寿院 浄楽寺】
最初に、ボランティアガイドの方から境内の裏にある墓地に
ご案内された。
前島密翁のお墓があり、前島翁の功績について解説された。
郵便事業始め日本の近代化に多大の貢献のあった方だ。
翁は漢字廃止論者だったそうだ。この点だけは実現されずに、
良かったと思う。
もし、漢字が無くなっていたら、日本の伝統文化や、精神構造に
どんな影響を及ぼしたか心配になる。
ボランティアガイドの解説を聴く
男性に代わった。浄楽寺の歴史や、5体の仏像が運慶仏と
特定された経緯など、丁寧に解説された。
運慶作との仏像は沢山あるものの、確証があるものは
限られている。61体(?)とのこと。
関東では、静岡・願成就院、立川・真如苑、金沢文庫・称名寺に
ある運慶仏は確か。
運慶研究の第一人者、清泉女子大学の山本勉先生も、
よく学生を連れて来られ、その際お話を伺う機会がある
とのこと。先生の受け売りもあると言われた。
(正直で好感度)
中央には阿弥陀三尊像、一番奥(向かって右端)に不動明王、
手前(左端)に毘沙門天が安置されている。定朝の仏像が
平面的なのに比し、運慶仏は立体的、力強さ、写実的との解説。
(5体とも国重文) 阿弥陀三尊 毘沙門天 不動明王
鎌倉・光明寺の二世寂恵(じゃっけい)が廃れかけていた寺を再興し、
浄楽寺とした。浄楽寺は光明寺の末寺であり、浄土宗となっている。
不動明王を所蔵している点から密教系寺院の時期もあったことと
思われる。
2.天養院 【五劫山 天養院 宝泉寺】
安楽寺本尊の薬師像は、和田合戦のとき、和田義盛が総身に
負傷しながら痛さを感じなことに、周りの者が不思議に思っていた。
その時、この薬師の顔から胸に傷ができ、血潮が流れていたと
言われている。それで、ひびが入っているのか。
本堂 薬師三尊像文化財指定の解説板
薬師三尊像を拝観 像のそばに置かれた解説文
薬師如来坐像と両脇時像(通常、左脇侍が日光、右脇侍が月光)
薬師如来のお顔や身体の裂け目が痛々しく感じた。これが、
和田義盛身代わりの傷と後で知った。
また、安楽寺のご本尊だったことから、安楽寺建立時に造立
された仏像と思い込んでいた。ところが、11世紀に入った頃の
作とある。すると、この像は安楽寺建立の時、他のお寺から
移されたことになるのでは。何と数奇な運命の仏像だろうか。
お顔や、身体の裂け目とは別に、全体に虫食いが目立つ。
何とか早く補修しないと、大変なことになるのではと心配して
しまった。ぜひ、早く入院させて頂きたい。
3.満願寺 【岩戸山 満願寺】
訪問すると、直ぐに収蔵庫へ案内された。4体の立像が
目に飛び込む。中央の像は2mを越える大きな像。
向かって左から毘沙門天、観音菩薩、地蔵菩薩、不動明王。
観音菩薩は指定では菩薩立像となっている。
「開基の佐原十郎義連が平家追討のため西海に赴くに
あたり、19才の容姿を運慶に託して彫刻させたと
伝えられている」とお寺の解説にはある。
満願寺の諸仏と佐原十郎義連の墓 解説板
満願寺の本堂 仏像の解説板を読む皆さん
(国重文)菩薩立像・地蔵菩薩立像の解説 不動明王・毘沙門天の解説
(国重文)木造菩薩立像・地蔵菩薩立像 毘沙門天立像・不動明王立像
地蔵菩薩立像のお顔が良い。目鼻立ちがくっきりした、
劇画的であり、快慶の特徴を感じさせていた。
浄楽寺像と比べても甲乙付けがたい像に思える。
4.満昌寺 【義明山 満昌寺】
源頼朝発願のお寺として格式の高いお寺と言える。
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鑑」に頼朝が三浦義明を
弔うために、寺の候補地を調べさせている記録が
あるとのこと。
宝物館は五十段以上もある階段を上ったところにある。
ご年配の方には少し大変な勾配となっている。自らライトの
スイッチを入れて、国重文の三浦義明坐像などを拝観した。
ご本尊を拝観したいとの要望があり、竹田会長がお寺と
折衝された。急遽、ご本尊の拝観が許可され、皆さん
本堂上がった。先代のご住職がお見えになり、お寺の
縁起等、解説された。
小平から来た旨をお伝えすると、お孫さんが学生の頃
小平で過ごしたことを話され急に親近感を覚えるように
なった。このお孫さんのお兄さんが、先ほどの満願寺で
住職をされているそうだ。
満昌寺が臨済宗に改宗する時の中興開山、天願慧広
(てんがんえこう)は円覚寺開山・無学祖元の第一座
(一番弟子)だったそうだ。先代ご住職は大変誇らしく、
お話になっていた。
満昌寺の山門 満昌寺の由来解説板
満昌寺本堂
横須賀市指定文化財解説 本尊華厳釈迦像・天岸慧広像
宝物殿へ向かう階段脇の羅漢 階段を上る皆さん
宝物殿 (国重文)三浦義明坐像
三浦義明廟所
今回は参拝できなかった清雲寺も興味深いお寺。ぜひ、
機会を作り訪ねてみたい。
昼食やお土産のお買い物時間も交え、楽しいバスツアーと
なりました。竹田会長始め会の皆さんには大変お世話になった。
三浦一族の歴史をもっと調べてみようと決意。
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