昼食に海鮮丼を頂いた。会食歓談の後、午後の部をスタート。先ずは宝金剛寺。
小田原で文化財指定の仏像を一番多く所蔵する寺院。今回探訪の中で、一番
見どころ満載の寺と言える。少し、詳しく報告したい。
3.宝金剛寺(ほうこんごうじ)<東寺真言宗> http://hohkongohji.jp/
緩やかな上り坂となった参道を歩き、境内に辿り着くと、ご住職のお出迎えを
受けた。気さくなお人柄に、参加者から笑みがこぼれる。早速、収蔵庫に
ご案内される。
宝金剛寺の縁起 参道
ご住職の神谷晴久師は40年間サラリーマンをされ、10年前にご住職
となられたこと、宝金剛寺は東寺の塔頭(たっちゅう)寺院・宝菩提院の
末寺になること、檀家が100軒ほどあることなど、ご自身のことやお寺
のことを最初に話された。
なお、宝菩提院は国宝・如意輪観音半跏像所蔵の宝菩提院(願徳寺)とは違う。
収蔵庫には、中央に銅造大日如来坐像、向かって左側に不動明王及び
両童子立像、右側に理源大師 聖宝(りげんだいし しょうぼう)坐像が鎮座。
絵葉書の写真
木造 不動明王立像 銅造 大日如来坐像
(ネットでの写真)
木造不動明王及び両童子立像 銅造 大日如来坐像
に解説文 に解説文
★銅造大日如来坐像 〔国 重要文化財〕
いよいよ仏像についてのご説明あった。大日如来は、文化財的価値の
高い像であり、東博への出展は勿論、アメリカにも出展されたこともある
そうだ。収蔵庫ができるまでは、鎌倉国宝館に寄託されていたとのこと。
平安仏と言われたり、あるいは鎌倉時代前半の作とされたりしている。
いずれにしても、銅造の大日如来としては日本最古の像のようだ。また、
両腕は、肩の部分から差し込むようになっており、左腕を先に外し、
次に右腕の順にしないと外れないようになっている。
全体の造形バランス、お顔立ち共に評判通りに素晴らしい。
★不動明王及び両童子立像 〔県指定 文化財〕
不動明王の解体修理時に頭部から仏舎利が出て来たそうだ。仏舎利を
どのように祀るかを検討した結果、元の状態に戻すこととなり、現在も
不動明王の頭部に納められている。
★理源大師 聖宝坐像 (画像はない)
収蔵庫に弘法大師 空海ではなく、なぜ理源大師 聖宝が祀られているか?
お寺の縁起を説明した掲示板にもあるように、宝金剛寺の前身は
空海十大弟子の一人、杲隣大徳(ごうりんだいとく)が開いたお寺。
そのお寺を1145年に中興した僧が一海(いっかい)であり、一海が
聖宝を師匠と仰いだことから祀られたとのこと。
なお、聖宝は京都・醍醐寺の開山であり、空海の孫弟子に当たる。
収蔵庫を後にして、庫裏へ入り、廊下伝いに本堂へと向かった。
今度は本堂で地蔵菩薩にご対面させて頂く。
収蔵庫から出る皆さん 庫裏へ入る
廊下を通り本堂へ向かう 庫裏と直角に位置する本堂
本堂に移り、再度ご住職からご説明を受けた。本堂中央には
薬師如来坐像が鎮座されている。しかし、このお寺のご本尊は
地蔵菩薩。ご本尊は薬師如来像の右側に設えた厨子の中に
安置されている。
この地蔵菩薩は帯解地蔵(おびとけじぞう)と呼ばれ、子宝に恵まれ、
安産のご利益があると言う。奈良・帯解寺(おびとけでら)のご住職とは
帯解地蔵のご縁で交流が始まり、後日、大学同窓で1年先輩という間柄
であることを知ったそうだ。何とも不思議なご縁を感じさせるお話だ。
また、東大寺のお水取りにもご参加されたり、真言院での法要等、東大寺
との繋がりの深さを知った。ご住職の話も一段落し、いよいよ厨子がご開帳
となった。厨子のそばまで歩み寄り、ご本尊の地蔵菩薩を間近で拝観させて
頂いた。
(絵葉書の写真)
木造 地蔵菩薩立像 銅造 如意輪観音坐像
(ネットでの写真)
地蔵菩薩立像に解説文
★木造 地蔵菩薩立像 〔県指定 文化財〕
★銅造 如意輪観音坐像 〔県指定 文化財〕
藤原時代(894年から約300年)後期のものと思われる像。
一木造、像高49.3㎝。
光背の頂上部に設けられた小部屋の中に如意輪観音坐像が
安置されている。当初、この像は木造と思われていたようだ。
地蔵菩薩修復の際、良く良く調べると、銅造であることが判明した。
8.7㎝の小像ながら実に精緻にできている。
地蔵菩薩の光背になぜ如意輪観音菩薩が置かれているのか、
理由が分からないとのお話があった。聖宝と言えば、准胝観音や
如意輪観音を信仰していたことが知られている。
思わず、「聖宝さんは如意輪観音を信仰していました」と口を差し挟むと、
ご住職は「初めて、知りました。聖宝さんの影響ですか」と反応された。
★薬師如来坐像 〔市指定 文化財〕 (画像はない)
中興の僧・一海(いっかい)の当時は護摩堂を中心に繁栄していた
そうだ。護摩堂は薬師堂のことであり、その薬師堂の本尊がこの
薬師如来と推測される。時代的には1145年頃、平安末期の作となる。
今後の調査次第で、文化財的価値が更に高くなるのではないだろうか。
本堂での拝観を終え、庫裏へ移動した。お茶と和菓子でのおもてなしを
受けた。また、ご住職からご縁の不思議さ・大切さのお話を伺いながら、
楽しいひと時を過ごさせて頂いた。また、ご住職の人脈の広さにも驚く。
奉納された阿弥陀如来立像や絵画
歓談した後は、庫裏を背に記念撮影。シャッターは、ご住職の奥様に
お願いした。
記念撮影 記念撮影時に席を外されていた方々
万歳のポーズでいつまでもお見送りされるご住職
宝物の魅力、ご住職のお人柄が重なり、大変充実した時間となった。
次に向かうのは最後のお寺、東学寺。
4.東学寺(とうがくじ)<臨済宗 建長寺派>
東学寺に到着すると、直ぐに本堂に案内された。堂内に座り、ご住職の
お話に耳を傾けた。ご住職は臨済宗の中で布教師の任を担っており、
各寺院に出向き、説法をされていると言う。「東学禅寺」と言う定期刊行物
の寺報が配られ、ページを追ってご説明された。流石、布教師、ユーモア
溢れる語り口に笑い声が絶えない。
東学寺は、鎌倉 建長寺の末寺となる臨済宗のお寺。臨済宗のお寺に
なぜ清凉寺式釈迦如来像が安置されているのだろうか?
東学寺の縁起が書かれた掲示板 東学寺の山門
本堂
釈迦如来立像の写真と解説文 本堂天井の雲龍図
★木造 釈迦如来立像 〔県指定 文化財〕
4代前のご住職が、像を漆で黒く塗ってしまったため、全体が
暗い感じがしている。現ご住職は、この点が気に入らず、
機会を見て、漆を除去したいと考えているようだ。
誤った修復から元に戻すことで、文化財的価値が一挙に
高くなることはある。
清凉寺式釈迦如来がなぜ禅宗寺院にあるのか不思議に思い、
ご住職に質問をした。禅宗寺院にあることは珍しいし、どのような
経緯で東学寺の所蔵となったかも、不明との回答だった。
清凉寺式釈迦如来像は、真言律宗を開いた西大寺の叡尊が多く
造像したことが知られている。真言律宗布教の証となっているようだ。
金沢文庫 称名寺や 鎌倉 極楽寺の釈迦如来像が有名であり、
いずれも真言律宗のお寺だ。
六地蔵 薬師堂とお前立の薬師如来像
境内には、六地蔵や薬師如来像も祀れており、こちらも禅宗寺院とは
違った印象を持つ。
小田原市には13件の文化財指定仏像(国、県、市指定)がある。
今回の探訪で、内8件の仏像を拝観できた。これも、竹田会長の
寺院選定と拝観交渉にご尽力された
お蔭と深謝。内容充実の小田原古刹巡りでした。(合掌)
宝金剛寺
銅造 大日如来坐像(国指定)、木造 不動明王 両童子像(県指定)
木造 地蔵菩薩立像(県指定)、銅造 如意輪観音菩薩坐像(県指定)
木造 薬師如来坐像(市指定)
本誓寺
木造 阿弥陀如来立像 2件 2躯(県指定)
東学寺
木造 釈迦如来立像(県指定)