8時半、中野駅東西線ホームに11名が集合し、西新井大師へ向かう。
電車を乗り継ぎ、最後は西新井駅から大師線に乗り、1駅の大師前駅
で下車。大師駅で1名加わり、総勢12名での参拝となった。
西新井大師で頂いたパンフレットによるとお寺の西にあった井戸が
西新井という地名の由来とのことだ。西新井大師は真言宗豊山派の
寺院。弘法大師(空海)によって826年に開創されたそうだ。
正式名「五智山編定院總持寺(ごちさんへんじょういんそうじじ)」。
先ずは、山門をくぐり、境内を散策しながら、仏像や堂塔を拝観した。
拝観順に記したい。
(案内図の番号通りではなく、番号も不一致)
境内案内図(HPからコピー)
1.山門(案内図①)
「五智山」とお寺の山号についているように、五智如来が山門の
楼閣に祀られている。山門には堂々とした、大掴みの仁王像が
睨みを効かせている。この仁王像は表面の剥落が気になる。
2.塩地蔵(案内図②)
以前、新宿の太宗寺でも塩地蔵を拝観したことがある。お地蔵さんの
お姿が分かるのは良い。太宗寺では塩に埋もれて判別できなかった。
3.六角堂 聖観音菩薩 (案内図③)
お堂の扉が閉まっていた。境内でお店を開いている女性が、開けて
お参りして良いと声をかけてくれた。百済観音のようなお姿の像であり、
皆さん声を上げていた。
4.大日如来尊像 (案内図④)
この像は修験道で名高い出羽三山の一つ湯殿山の大日如来を
勧請したとある。文政年間(1818~1830)の作とされている。
5.延命水洗地蔵尊 (案内図⑧)
弘法大師御降誕1200年の記念に建立されたとの説明が書かれている。
交代でお地蔵さんに水をかけた。
6.三匝堂(さんそうどう)<栄螺堂(さざえどう)> (案内図⑩)
内部には初層に本尊の阿弥陀如来と八十八祖像、二層に十三仏、
三層に五智如来と二十五菩薩を祀ってある。現在は本尊の阿弥陀如来は
新本堂に移されていると言う。
堂の外に階段が見えた。どのように拝観していくのだろうか。二十五菩薩が
阿弥陀如来ではなく、五智如来と一緒に祀るのは珍しいのではないだろうか。
7.加持水 (かじみず)(案内図⑬)
加持水とは何かネットで調べたところ、仏様の慈悲と智慧が
加わった水とある。堂となった加持水と屋根付きの井戸とがあった。
この井戸が、西新井の由来となった井戸だろうか?
8.不動堂(案内図⑫)
お不動さんの縁日でないとご開帳はないのか。今日の拝観はできない。
堂内に現役当時の栃東関の写真が見えた。立て看板のように立て
かけられていた。
9.本堂内陣 (案内図⑨)
四天王に囲まれたご本尊 左脇檀 阿弥陀三尊像
右脇檀 薬師如来像など 本堂を背に記念撮影
本堂の中に入り、お参りした。須弥壇中央には厨子が置かれ、四天王が
四隅に配されている。ご本尊は十一面観音菩薩と弘法大師。厨子の扉は
閉まったままとなっている。
須弥壇の左脇には阿弥陀三尊像が安置されている。この像は6の
三匝堂から移された像。観音、勢至の姿勢が今にも動き出しそうだ。
観音の蓮台が失われていた。右脇には、藤原時代の作と書かれた
薬師如来などが安置されている。
本堂での参拝を済ませた後に、記念撮影をした。その後、再度境内を
散策して歩いた。
10.四国八十八箇所お砂踏み霊場(案内図⑭)
「南無大師遍照金剛」を唱えながら一周した。回り方の説明もあり、
正面の左手から右回りに回る。
11.弘法大師立像 (案内図⑮)
12.稚児大師尊像 (案内図⑯)
13.十三重宝塔(案内図⑱)
14.如意輪堂(女人堂) (案内図⑳)
15.奥の院(案内図21)
奥の院まであるとは、恐れ入った。「当山は関東の高野と称され 高野山の
代拝所として江戸の昔より今日まで善男善女の参ずる者が多い」と書かれて
いる。我々12名も善男善女の仲間入りを果たしたような気がした。
山門を出て、参道脇の団子屋さんに呼び止められ、団子を試食し、お土産を
買う者も出た。これから昼食のお店を探しに近辺を歩いた。今年最後の
見仏会も見どころ沢山となった。
初詣の準備を済ませた山門
BACの皆さん 来年も引き続き楽しくやりましょう!!
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