10時、護国寺仁王門に集合。参加者14名。
小雨がぱらつく中での参拝となる。
今回がBAC2度目であり、じっくり拝観しようと計画して訪れた。
地下鉄有楽町線の護国寺駅を出ると直ぐに仁王門がある。
仁王門 境内案内図
吽形 阿形
仁王門を通り、境内右手に「大本山護国寺の縁起」と言う
解説板が立っている。
「創建は天和元年二月(1681年)、五代将軍徳川綱吉が、
その生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、
大聖護国寺の亮賢僧正を招き、開山とし、(中略)、
桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、」
と書かれている。
護国寺の祖師は 宗祖・・弘法大師空海 中興祖・・興教大師覚鑁
派祖・・宣誉、そして、開山が亮賢となる。
参道を進むと、両側に大きな蓮の葉の形をした水盤が
対になって置かれている。
解説板には桂昌院が寄進されたと書かれている。
元禄十年(1697年)頃に鋳造されたとのことだ。
左手の水盤には水が張られ、右手は空の状態だった。
参道を進む 「唐銅蓮葉形手洗水盤」解説文
水の張った水盤(左) カラの水盤(右)
次の門(不老門)に向かって階段を登って行くと、
右手に石造六地蔵立像が並んでいる。
一言地蔵尊(ひとことじぞう)、一言だけの願いを
聞き届けるおじぞうさまと書いてある。
手に持っている物がそれぞれ異なる。
手前から「錫杖と宝珠」、2番目が蓮華、3番目が数珠、
4番目は合掌して、何も持たない。5番目は柄香炉か(?)。
一番奥が宝珠。
この先に、大師堂があり、直ぐそばに、独尊の一言地蔵尊が
お堂の中に祀られていた。
赤い着衣を身に着け、周りも色鮮やかに飾られていた。
六地蔵の一言地蔵尊 お堂の中の一言地蔵尊
不老門の左手前には金剛力士像と思われる像が
単独で睨みをきかせている。
通常は阿吽で祀られ、仁王像となる。
単独の場合は執金剛神言う。
口の開きも微妙な具合だ。
阿でも、吽でもない。不老門を通り、更に進む。
執金剛神 不老門
右手に大仏が鎮座されている。「この大仏のお名前は?」と
質問を投げかけた。
服装から見て、如来であることは間違いない。
次に印相から判断して、釈迦如来となると解説した。
(胎蔵界大日如来も同じ印相)。
仏像の後ろに明記された文字を確認のところ、正解であった。
釈迦如来坐像 本堂へ向かう
本堂(観音堂)の中に入り、参拝を済ませ、その後、
堂内をゆっくり拝観した。
「悉地院」の扁額は綱吉の記した文字とのこと。
癖のない堂々とした文字に感心する。
手作りの仏像配置図を準備して、じっくり拝観しようと
計画していたエリアが立ち入り禁止となっていた。
今年の4月から、文化財保護のために、制限するようになったとのこと。
当てが外れて、ちょっとがっかり。
この本堂は重要文化財の建造物。戦争で焼失した建物が多い中
良く残ったものだと、感心する。本堂を背に記念撮影をした。
記念撮影
次に、向かった先は墓所。井戸さんのご案内で墓所内を巡る。
山縣有朋 墓所 大隈重信 墓所
三条実美墓 解説文 墓所
ジョサイア コンドル墓解説文 墓所
侯爵 久邇邦久 墓所
護国寺の拝観を終え、お茶の水女子大学 学食での昼食案も出た。
しかし次に向かった先は音羽御殿の鳩山会館。
音羽と言う町名が奥女中の音羽(おとわ)に由来したことを、
初めて知った。そのことが旧町名案内に書かれていた。
旧町名案内
鳩山会館まで暫く歩き、会館の門に到着。
この門からの坂は勾配が急であり、ご年配の方々にはちょっとつらい。
入館料は65歳以上が500円。椅子に腰かけ、寛ぐ。
鳩山会館の入り口 会館
観覧後、近くのファミレスで12名がランチタイム。
ワイワイガヤガヤ楽しいひとときを過ごす。
今日も一日お疲れ様でした。感謝!
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