2019年12月2日月曜日

仏像めぐり(山梨)⑤放光寺

今回の旅、最後の参詣寺院は文化財指定の仏像を
数多く所蔵される放光寺。

5.放光寺(ほうこうじ)<真言宗智山派(甲州市塩山藤木)>
  
  放光寺は甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の孫に当たる
  安田義定を開基とする。また、国重要文化財を4件
  も所蔵されている(❶)。
   ●木造大日如来坐像 1軀 平安時代
   ●木造不動明王立像 1軀 平安時代
   ●木造愛染明王坐像 1軀 平安時代
   ●木造金剛力士立像 2軀 鎌倉時代 

  金剛力士立像(❸❹)の朱彩は元禄十六年(1703)に
  施されたことが、阿形像の体内から発見された木札で判明
  した(❷)。彩色が鮮やかなのは江戸時代の修復による。
❶放光寺の沿革      ❷金剛力士像の解説

  吽形像の顔はユーモラス(❸)。目を剥き、鼻の穴を膨ら
  ませ、口をすぼめて曲げ、ひょっとこのように見える。作者  
  は奈良仏師の正系・成朝(せいちょう)とされる。ビッグな
  名前に驚く。なお、成朝没後、傍系の康慶(運慶の父)が
  慶派を名乗って、活躍して行ったことは良く知られている。
❸金剛力士像(吽形) ❹金剛力士像(阿形)

  山門を抜け、参道を進み本堂へ向かう(❺❻)。
❺山門を抜け本堂へ       ❻本堂と参道
  受付を済ませ、お堂の廊下を伝わり、宝物館に案内される。
  途中、愛染堂の前を通ると、赤々とした愛染明王像の雄姿
  が垣間見えた(❼❽)。
❼愛染堂の前を通る     ❽愛染堂の愛染明王像

 宝物館に入り、ご住職から宝物館の仏像についての解説が
  あった。宝物館は文化財保護の観点から昭和41年に建造
  された。それまでは、それぞれのお堂にご本尊として安置
  されていた。今は、三体が一緒に保存・保護されている。

  中央の金剛界大日如来坐像は放光寺のご本尊。智拳印を
  結ぶ姿は密教の教主らしくて頼もしい。当初は、漆箔
  (しっぱく、漆を塗った上に金箔を押す)で、金色に
  輝いていた。
  
  向かって左端の天弓愛染明王坐像は朱色の、真っ赤な
  燃えるような色をしていたとのこと。天に向かって、
  矢を射る形が、本来の愛染明王の姿とご説明された。
  お経に書かれているそうだ。

  また、国の重要文化財となっている天弓愛染明王像は、
  京都の神童寺像、和歌山の金剛峯寺像と合わせて3体
  とのこと(❿)。

  不動明王立像は当初は青色に彩色されていた。今は
  色褪せて、青色は確認できない。味わい深くなった
  印象があるものの、劣化したとは感じない。
❾宝物館に鎮座する三尊像   ❿重文の天弓愛染明王(参照)

  毘沙門堂へ移動する。毘沙門堂の前には源氏の系図(⓫)
  が掲げられていた。この図によると、放光寺の開基・
  安田義定は源義光のひ孫となっている。沿革(❶)での
  解説では孫となっている。何か事情がありそうだ。

  毘沙門天立像(⓬)は甲州市の文化財に指定されている。
  この像は、開祖像として、安田義定に関係する像らしい。
  毘沙門天像造立について、ご住職からご説明があった。

  一つは、梶原景時が安田氏を陥れたことを後悔して、
  毘沙門天像を造立し、お骨を入れた鎮魂の像とした
  とする説。もう一つは、義定自身が信仰のため、造立
  したとする説とがあるようだ。

  文化庁の調査によると、首のところにお骨らしきもの
  が確認できたとのこと。今後の更なる調査も必要と
  言われていた。

  平安後期・鎌倉期の像が、色鮮やかなのは、江戸時代
  の寛文五年(1665)に修理されたからとのこと。
⓫源氏の系図         ⓬毘沙門天立像

  来年2月、奈良国立博物館に全国の毘沙門天が集まる
  展覧会が開催される。そこに放光寺の毘沙門天像も
  出陳される。ぜひとも、観覧したい。
⓭境内から見える宝物館  ⓮境内から見た天弓愛染明王像

  すべての拝観を終え、堂外へ出た。宝物館を外から
  眺めた(⓭、⓮)。名残惜しく、放光寺に別れを
  告げた。

  今回も、竹田会長のグッドチョイスで、内容の濃い
  仏像めぐりができた。ご参加の皆さんに感謝‼(合掌)


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