2019年12月13日金曜日

「空海研究会」探訪❷ 長浜市・石道寺

<前号(向源寺)から続く>

向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観音菩薩像を拝観した後は
井上靖「星と祭」に登場する石道寺の十一面観音菩薩像と
ご対面する。

2.石道寺(しゃくどうじ)
  バスを降りて、山道を登り始めると、石道寺まで140m
  の標識(❶)を目にする。紅葉に覆われた道(❷)を進む。
  
  振り返ると、松葉杖の助けを借りながら登るTさんの姿が
  あった(❸)。大変な思いをして登り、きっと観音様の
  ご利益があるのではないだろうか。

  己高山(ここうざん)石道寺の石柱が見えた。
❶石道寺への標識      ❷紅葉の登り道

❸松葉杖を使い一歩ずつ    ❹己高山石道寺の石柱

  石道寺の本堂前には金属板(❺)に、井上靖星と祭」の
  一節が刻まれている。本尊の十一面観音菩薩を次のように
  表現している。

 『この観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになってここに
  現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、
  惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。
  
  野の匂いがぷんぷんする。笑いを含んでいるようにも
  見える口もとから、しもぶくれの頬のあたりへかけては、
  殊に美しい。』
❺井上靖「星と祭」の一説

  いよいよご対面。本堂の中に入り、堂内に流れる解説に
  耳を傾けながら、ご本尊を拝観した。井上靖が表現された
  通り、純朴で美しい村娘に見えた。

  現在のお堂は、大正三年に廃寺となった旧石道寺の本堂を
  移築し、翌年(大正四年)に厨子と仏像を移したそうだ。
  その時から今日まで、里人によってご本尊は守り続けられ
  ている。

  観音さまを守ることによって、信仰心と合わせて地域の
  結びつきが強くなって行ったと想像できる。守り守られる
  関係こそが、「観音の里」と言える。
❻厨子の中の十一面観音像 ❼十一面観音像のアップ

  厨子の中には、ご本尊十一面観音菩薩の左右に、別の十一面
  観音菩薩が並んでいた(❻)。三体を並べるとはどんな意味
  があるのだろうか?

  厨子の外には、像高182.7㎝の持国天・多聞天(❽)なかなか
  の迫力。ご本尊と同様、欅(けやき)の一木造りで重文の
  指定を受けている。

  拝見を終え(❾)、次に向かうのは敦賀。敦賀で昼食タイム。
❽持国天像と毘沙門天像   ❾本堂を退出する皆さん

  〇昼食は敦賀でソースカツ丼
  小浜へ行く途中にある敦賀で昼食。敦賀名物のソースカツ丼
  を頂く(❿⓫)。ボリューム満点。あまりの多さに驚く。
  昼食後に、氣比神宮に立ち寄る。
❿予約の店・そば処はやし   ⓫頂いた昼食のセット

  〇氣比神宮(けひじんぐう)
  氣比神宮御由緒(⓬)によると、境内には「敦賀(つるが)
  地名発祥となった「角鹿(つぬが)神社」があることや、旧跡
  は明らかでないまでも、日本最古の神宮寺とされる氣比神宮寺
  があったと記されている。神仏習合がこの地で始まったことが
  分かる。
  
  氣比の大鳥居は明治34年に国宝(現在 重要文化財)に指定
  されている(⓭)。この鳥居は春日大社(奈良)、厳島神社
  (広島)と並び日本三大木造鳥居に数えられる(⓮)。
⓬気比神宮御由緒      ⓭気比の大鳥居

⓮大鳥居を背に一枚

  氣比神宮を後にして、小浜の羽賀寺へ向かう。

<続く>




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