向源寺(渡岸寺観音堂)十一面観音菩薩像を拝観した後は
井上靖「星と祭」に登場する石道寺の十一面観音菩薩像と
ご対面する。
2.石道寺(しゃくどうじ)
バスを降りて、山道を登り始めると、石道寺まで140m
の標識(❶)を目にする。紅葉に覆われた道(❷)を進む。
振り返ると、松葉杖の助けを借りながら登るTさんの姿が
あった(❸)。大変な思いをして登り、きっと観音様の
ご利益があるのではないだろうか。
己高山(ここうざん)石道寺の石柱が見えた。
❶石道寺への標識 ❷紅葉の登り道
❸松葉杖を使い一歩ずつ ❹己高山石道寺の石柱
石道寺の本堂前には金属板(❺)に、井上靖「星と祭」の
一節が刻まれている。本尊の十一面観音菩薩を次のように
表現している。
『この観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになってここに
現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、
惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。
野の匂いがぷんぷんする。笑いを含んでいるようにも
見える口もとから、しもぶくれの頬のあたりへかけては、
殊に美しい。』
❺井上靖「星と祭」の一説
いよいよご対面。本堂の中に入り、堂内に流れる解説に
耳を傾けながら、ご本尊を拝観した。井上靖が表現された
通り、純朴で美しい村娘に見えた。
現在のお堂は、大正三年に廃寺となった旧石道寺の本堂を
移築し、翌年(大正四年)に厨子と仏像を移したそうだ。
その時から今日まで、里人によってご本尊は守り続けられ
ている。
観音さまを守ることによって、信仰心と合わせて地域の
結びつきが強くなって行ったと想像できる。守り守られる
関係こそが、「観音の里」と言える。
❻厨子の中の十一面観音像 ❼十一面観音像のアップ
厨子の中には、ご本尊十一面観音菩薩の左右に、別の十一面
観音菩薩が並んでいた(❻)。三体を並べるとはどんな意味
があるのだろうか?
厨子の外には、像高182.7㎝の持国天・多聞天(❽)なかなか
の迫力。ご本尊と同様、欅(けやき)の一木造りで重文の
指定を受けている。
拝見を終え(❾)、次に向かうのは敦賀。敦賀で昼食タイム。
❽持国天像と毘沙門天像 ❾本堂を退出する皆さん
〇昼食は敦賀でソースカツ丼
小浜へ行く途中にある敦賀で昼食。敦賀名物のソースカツ丼
を頂く(❿⓫)。ボリューム満点。あまりの多さに驚く。
昼食後に、氣比神宮に立ち寄る。
❿予約の店・そば処はやし ⓫頂いた昼食のセット
〇氣比神宮(けひじんぐう)
氣比神宮御由緒(⓬)によると、境内には「敦賀(つるが)」
地名発祥となった「角鹿(つぬが)神社」があることや、旧跡
は明らかでないまでも、日本最古の神宮寺とされる氣比神宮寺
があったと記されている。神仏習合がこの地で始まったことが
分かる。
氣比の大鳥居は明治34年に国宝(現在 重要文化財)に指定
されている(⓭)。この鳥居は春日大社(奈良)、厳島神社
(広島)と並び日本三大木造鳥居に数えられる(⓮)。
⓬気比神宮御由緒 ⓭気比の大鳥居
⓮大鳥居を背に一枚
氣比神宮を後にして、小浜の羽賀寺へ向かう。
<続く>
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