長浜から敦賀へ、そして小浜に到着したのは3時半頃。
8日(日)最後の参詣寺院は羽賀寺。
3.羽賀寺(はがじ)
バスを降りて、坂道を登ると石柱が立つのが見える(①)。
柱には「元正天皇・村上天皇勅願 羽賀寺」と刻まれる。
境内の案内図(③)で確認しながら、進む。高い木々に
囲まれた階段の先に本堂が見える(④)。
①「羽賀寺」と刻した石柱 ➁参道脇に立つ鮮やかな紅葉
③羽賀寺境内案内図 ④本堂へ続く参道の階段
羽賀寺には、国指定の重要文化財が5つある。その中の
一つに羽賀寺本堂がある(⑤⑥)。檜皮葺の入母屋造り
で、軒が反っている(⑥)。室町中期の建立とのことだ。
高台にありながら、周りを山に囲まれ、盆地のようにも
なっている。前庭の広さと言い、静寂な空間を形作って
いる。
⑤本堂と紅葉する木々 ⑥右手から眺望する本堂
羽賀寺は、真言宗高野山派の寺院。716年、女帝・
元正天皇(げんしょうてんのう)が行基に命じて創建
したとある(⑦)。
第44代の元正天皇は、文武天皇(42代)の姉であり、
元明天皇(43代)は母、持統天皇(41代)は、祖母と
なる(⑧)。女性天皇が続いた時代である。
(横書きの赤い字が女性天皇)
⑦羽賀寺創建の看板 ⑧奈良時代の天皇系譜
ご本尊の十一面観音菩薩像を間近で拝観した(⑨)。
このご本尊は元正天皇のお姿とされている(⑦)。
お顔立ちは知性的で気品があり、いかにも高貴な女性と
言う印象を受ける(➉)。向源寺像、石道寺像と比較
すると、三者三様の魅力がある。
●向源寺像…異国風(ガンダーラ的)で妖艶
●石道寺像…村娘のような純朴
●羽賀寺像…気品があり知性的
⑨解説を聴き、ご本尊を拝観 ➉ご本尊の十一面観音菩薩立像
厨子に入ったご本尊を挟むように、両脇に千手観音菩薩像
(向かって左)と毘沙門天像(むかって右)が立つ。
いずれも、重文指定を受けている(⑪)。
このような配置はなぜだろうか? 調べて行くと、この二体
は当初、松林寺と言うお寺にあり、後に、羽賀寺に移って来た
ことが分かった。客仏であり、配置に意味はないと思われる。
⑪ご本尊の脇仏
本堂の裏側にも回って拝観できた。ご本尊の真後ろには
薬師如来坐像(⑫)が鎮座し、天井近くの棚には観音の
変化身、三十三応現神(⑬)が並んでいた。
⑫薬師如来坐像 ⑬三十三応現神像(一部)
なお、重要文化財5件のうち、残る1件は、「紙本墨書羽賀寺
縁起」がある。これは、拝観できていない。
羽賀寺での拝観を終え、今晩の宿へと向かった。
〇若狭・小浜の宿「花椿」で宿泊
昼食がボリュームのある食事となったため、夕食はちょっと
遅めの7時とした。
夕食も、次から次へと蟹料理が出された。正に蟹三昧の夕食
となった(⑭⑮)。福井県は量が半端ではない。楽しく歓談
しながら、懇親も深まった。
⑭蟹づくしの夕食 ⑮献立メニュー
<続く>
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