3月定例会は大正大学名誉教授・福田亮成先生の講演会を開催しました。
先生は4月から真言宗智山派の総本山・智積院で修行僧の方々をご指導
されるため、専修学院長にご就任されます。
ご準備にお忙しい中、合間を縫って、お越しいただきました。感謝です。
講演会テーマは「マンダラについて」。参加者25名と盛況!
マンダラの語義に始まり、マンダラとは何か、仏教と仏像のつながり、
空海描いたマンダラの世界など解説して頂きました。
「マンダラ」の「マンダ」とは乳製品の最も深い味のことで「醍醐味」と共通
するとのことです。「本質」と言い換えられます。また「マンダラ」の「ラ」とは
「備えているもの」と言う意味とのことであり、「本質を備えているもの」が
マンダラの語義とのことでした。
したがって、本質を備えているものであれば、すべて「マンダラ」となるよう
です。「菩提道場」もマンダラ、戒壇もマンダラ。また仏教では我々人間は
一人一人に仏性がある。仏になる可能性を平等に認められている。仏性
そのものを本質とすると、それを備えているもの、我々自体も「マンダラ」と
言い切ることができるそうです。マンダラについての理解が少し深まった
ように感じました。また、マンダラへの関心が更に高まりました。
6世紀密教が伝えられ、仏像が造られた時、仏を3つのセットにして表現
したそうです。仏を真ん中にして、左側に慈悲を象徴する「蓮華」、右側に
智慧を象徴する金剛(杵)で表現したとのことです。
このお話の時に、直ぐに思い描いたものが「阿弥陀三尊像」でした。
慈悲の観音菩薩、智慧の勢至菩薩もこの考えから生まれたのであろうと
推察しました。
空海や最澄がすべての仏をまとめるように考えたのに対し、鎌倉仏教の
開祖は一仏に帰依していったことが特徴とのことでした。一仏にこだわる
ことも良いが、おおらかにすべてを受けいれる考えの方が仏教の良さで
もあるように思えます。時代が苦しくなると一仏になるのでしょうか?
お釈迦さまが悟った法はずっと続いているのであるから、過去にもいた
はずだとして「過去仏」、未来にもいるはずだと「未来仏」、インド以外にも
仏さまはいるのではとする考えからいろんな仏が誕生したそうです。
2つの仏の考えも面白く感じました。人間としての仏、法としての仏があり
その間を埋めるものとして菩薩が現れたとのことです。いずれも誕生秘話
をお聞きしたようで、楽しく拝聴しました。
講演会終了後、質疑応答の時間があり、小池さん、原山さんから質問が
出され、先生からご回答いただきました。ちょっと時間が足りませんでした。
先生から、「このような知的な方々と一緒に勉強するのは楽しいでしょう」
とのお言葉を頂戴しました。機会があれば、ぜひまたご指導を願いたいと
お伝えしました。
最後に、講演会の中でお話になられた福田先生お勧めの本は…
「リグヴェーダ再版本」「浄土三部経」です。ぜひ、書店で見てみようと
思った次第です。
4月スタートしたBAC定例会もちょうど1年経ちました。皆様のご協力
ありがとうございました。引き続きよろしくお願いします。