4月15日(日)、嘗て同じ職場に勤務した9名が近鉄宇治山田駅に
集合した。後期高齢の75歳を筆頭に、一番の若手も老齢人口に
参入された66歳。
熊本、岡山、徳島、兵庫2名、大阪、神奈川、東京、埼玉から集う
男性ばかりの面々。年1回、集合場所を変えて旧交を温めている。
20数年間も続いており、今や年中行事となっている。
今年は伊勢神宮と金剛證寺の参詣が計画された。幹事役のHさん
は小生へのご配慮で、訪問先には必ず古刹・名刹が入れてある。
今回の旅日記は伊勢神宮ではなく、夥しい数の卒塔婆に驚嘆した
金剛證寺についてご紹介したい。
伊勢志摩の最高峰「朝熊山(あさまやま)」は標高、550mを越える。
その中腹にあり、伊勢神宮の鬼門を守る名刹・金剛證寺が建つ。
(①、②の地図参照)
①伊勢神宮内宮・外宮と金剛證 ②金剛證寺本堂境内と奥之院
最初に、奥之院、次に本堂へ向かうこととした。ジャンボタクシーで
奥之院極楽門に到着する。(③) 極楽門のそばには、「卒塔婆建立
番地案内図」の掲示板が設置されている。(④)
③金剛證寺奥之院・極楽門 ④奥之院 卒塔婆建立番地案内図
奥之院へ向かう参道の両脇にはびっしりと隙間なく卒塔婆群が林立
している。伏見稲荷の千本鳥居を思い起こさせるような光景で、壮観。
⑤⑥奥之院への参道両脇に建立された卒塔婆群
奥之院の門をくぐり、中に入ると。(⑦、⑧)
⑦奥之院への門 ⑧奥之院 境内
志納金が記された卒塔婆(⑨)と「卒塔婆の供養林」についての
解説板(⑩)が目に入って来る。一番大きな卒塔婆は50万円、
一番小さなものは3万円と書かれている。志納金の額をどのよう
に考えるかは各人各様。
卒塔婆をなぜ立てるかは、山の中に死者の霊が集まる他界(たかい)
があると言う「山中他界観」に基づいているようだ。(⑩)
卒塔婆はインドの「ストゥーパ」が中国経由で伝わってきたもの。音写
され、卒塔婆の字が当てられた。ストゥーパはもともと釈迦の遺骨を
納めた塚。それが仏舎利を納める塔になり、卒塔婆にもなった。
⑨志納金が記された卒塔婆 ⑩卒塔婆供養林の解説板
次に、本堂の仁王門まで、ジャンボタクシーで移動。仁王門に登る
階段脇に金剛證寺の縁起が掲げられていた。(⑪)
寺伝では草創が欽明天皇の頃とされている。欽明天皇と言えば、仏教
伝来時の天皇であり、金剛證寺がいかに歴史のある寺かを物語る。
弘法大師が中興し、真言宗のお寺となり、現在は臨済宗南禅寺派と
なっている。ご本尊は虚空蔵菩薩であり、真言宗寺院の色合いが
濃いように思える。
⑪本堂仁王門前に建つ金剛證寺縁起の解説板
階段を上がると、堂々とした仁王門が迫って来る。阿形、吽形が睨みを
効かしている。(⑫~⑮) 仁王像の造形も迫力がある。
⑫仁王門への階段 ⑬仁王門と仁王像
⑭吽形 ⑮阿形
境内には、弘法大師像や仏足跡も見られる。(⑯、⑰)
⑯境内に祀られた弘法大師像 ⑰釈迦の足跡を示す仏足跡
朱塗りの本堂は国の重要文化財に指定されている。(⑱)
この本堂は、1609年、姫路城主の池田輝政が再建し、1701年
徳川綱吉の母・桂昌院が修理したとのこと。由緒あるお堂と言える
開山堂に祀られている3人は、お堂前に立つ案内板に記されている。
「草創・暁台上人 開山・弘法大師 中興開山・佛地禅師」とある。
⑱摩尼殿と書かれた本堂 ⑲3人を祀る開山堂
宿泊したホテル前で記念撮影した
⑳参加者の面々
今年も四方山話に花を咲かせた。来年もまた元気に再会したい。(合掌)