5月5日(木・祝日)、渋谷区立松濤美術館を訪れた。「SHIBUYAで仏教美術」
と銘打って、奈良国立博物館名品の展覧会が開催されている。10時~10時30分
の枠で予約しておいた。10時10分前に到着すると10数名が開館を待っていた。
時間なると入口で予約内容を確認を受け、入館した。60歳以上は入館料500円と
言われ、何か得したような気分になった。予約していない方も直ぐ入館できた。
5月5日(木・祝日)、渋谷区立松濤美術館を訪れた。「SHIBUYAで仏教美術」
と銘打って、奈良国立博物館名品の展覧会が開催されている。10時~10時30分
の枠で予約しておいた。10時10分前に到着すると10数名が開館を待っていた。
時間なると入口で予約内容を確認を受け、入館した。60歳以上は入館料500円と
言われ、何か得したような気分になった。予約していない方も直ぐ入館できた。
4月3日(日)久方ぶりに東博(東京国立博物館)を訪れた。10時前後に到着
すると、入口付近には長蛇の列ができていた。なぜこれほど混むのだろうか?
平成館での特別展「ポンペイ」が最終日だったからだと分かった。
本館での「空也上人と六波羅蜜寺」は直ぐに入場できた。10時30分から11時
30分の枠での観覧指定を受付で渡された。会場内には多くの人がいるものの、
観覧に支障は無く、充分堪能できた。
展示件数は17件であり、音声ガイドを聴きながらの1時間観覧にちょうど良い。
また、総合文化展(本館11室)で関連する展示コーナーが設置されおり、二度
楽しむことができた。観覧しての感想を5つの視点で観覧記にまとめた。
(画像は図録と内覧会レポートから)
1.特別展の主役「空也上人立像」(❶)
空也上人立像は今から10年前、六波羅蜜寺を参詣した際に実物を拝観した。
口から南無阿弥陀仏の仏が飛び出す造形はユニークであり鮮明に覚えている。
作者は運慶の四男・康勝(こうしょう)とされる。空也上人没後250年ほど
の時に制作された。口から出る仏、細身の身体、曲がった腰などは口称念仏
(くしょうねんぶつ)の遊行僧(ゆぎょうそう)をリアルに造形している。
康勝は東寺御影堂の国宝・弘法大師坐像の作者でもあり、高僧の精神性まで
表現する卓越した技量の持ち主と言える。
空也上人没後1050年を記念しての特別展であり、空也上人は六波羅蜜寺の
開山(厳密には改名前の前身寺院、西光寺開山)である。
今回は空海の曼荼羅について記した言葉を確認することから始めたい。
1.空海の「曼荼羅」
空海は御請来目録(ごしょうらいもくろく)で「密蔵は深玄にして、翰墨に
載せ難し。更に図画を仮りて悟らざるに開示す。」と記されている。
意味は、空海研究所長の武内孝善氏解説によると「真言密教はとくに奥深く、
文字で表し尽くすことは難しい。だから図画をかりて悟れない者に開き示す
のである。」
更に「経疏に秘略にして、これを図像に載せたり」(①のⅢ)とある。これ
は「経典や注釈書には秘したり略したりしていて(十分理解できないところ
を)図像が端的に画いてくれている。」(➁のⅢ)という意味である。
続いて、「伝法・受法、此を棄てて誰ぞ。」(①のⅤ)即ち、「伝法も受法
も、曼荼羅をはなれては誰も奥深いところまで理解することはできない。」
(➁のⅤ)とある。
真言密教と曼荼羅は不可分の関係であり、密教は曼荼羅なければ成立しなか
ったのではないだろうか。密教のエッセンスをすべて曼荼羅の中に集約して
いると言える。曼荼羅を理解することが、密教を知ることに繋がる。
東寺講堂の立体曼荼羅について整理する前に、空海の著作と思想に触れたい。
空海は沢山の著作を残している。その中で注目したのが『三教指帰(さんごう
しいき)』、『弁顕密二経論(べんけんみつにきょうろん)』、『秘密曼荼羅
十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)』。(❶)
1.三教指帰
『三教指帰』は空海が24歳の時に記した『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を後
に校訂、改題したものである。空海の出家宣言の書と言われており、戯曲風
に書かれている。儒教、道教、仏教を比較し仏教の優位性を結論付けている。
儒教は、立身出世ための処世術を記した指南書であり、人生をいかに生きる
か、何のために生きるかと言う根本命題を説いていない。道教はいかに生き
るかを説くも、現実世界と遊離した生き方は虚無的(ニヒリズム)である。
仏教はいかに生きるか何のために生きるかと言う根本命題に向き合いながら
現実社会との関りも説いている。空海の問題意識に応えるものであった。従
って、仏教が道教、儒教より優位にあるとしている。
2.弁顕密二経論
弁顕密二経論とは、大乗仏教の顕教と密教とを比較し、密教の優位性を説い
た教相判釈(きょうそうはんじゃく)の書である。注目する主要な点を❷に
まとめた。
顕教は報身仏(ほうじんぶつ)、応身仏(おうじんぶつ)が説く仏教である。
報身仏とは、誓願を立て誓願が成就したことにより仏陀となった阿弥陀如来
や薬師如来が該当する。応身仏とはこの世に生まれ、仏陀となられたお釈迦
様のことである。
報身仏、応身仏とも悟りに達したものの、悟りの中身については明確になっ
てない。お釈迦様は悟りを得た後、梵天から説法してほしいとの要請に対し、
悟りを人に伝えることはできないと断っている。即ち、言葉では伝えきれな
いものであるとお釈迦様自身自覚されていた。(梵天勧請3度目で説法する
ことを了承した)
密教では、悟りの中身=宇宙の真理=法身仏(ほっしんぶつ)=大日如来の
図式を描いた。言葉では伝えきれないことを前提にして、論理立てている。
「法身説法」「真言」「種字(梵字)」「印相」など五感を通じて体感体得
することを志向している。
極めつけは「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」である。顕教は「三劫成仏
(さんごうじょうぶつ)」として、気の遠くなる歳月、何度も生死を繰り返
す輪廻転生を経ないと成仏できないとしていた。一方、「即身成仏」はこの
身このまま生きたまま成仏できるとした。正に、宗教革命、コペルニクス的
転回と言える。
「古寺名刹参詣の自分流楽しみ方」シリーズの第5弾は『東寺』にしたい。
東寺は、京都を訪れるたびに参詣する寺院ある。空海所縁の寺院と言うこと
で、関心・興味が尽きない。
東寺は複数回に分けて整理することとした。先ずは、歴史と寺宝を概観し、
次いで、空海の思想と曼荼羅を別の回に整理したい。
1.歴史、伽藍、寺宝
桓武天皇は平城京から長岡京に遷都し、造営責任者の藤原種継が暗殺され
たため、わずか10年で再び平安京に遷都した。遷都理由の一つに奈良仏教
の僧侶が政治に介入することを排除しようとしたことが挙げられる。道鏡
の事件が直ぐに思い起こされる。
平安京には官寺の東寺、西寺以外に寺院の造営を認可しなかった。そうし
た時代背景の中で東寺が誕生した(❶)。
東寺の略年表に空海の関りを記したのが❷である。空海は遣唐使として唐
に渡り密教を請来した。嵯峨天皇の信任が厚く、東寺別当となり、やがて
東寺を賜る。