2015年6月25日木曜日

真言宗智山派大本山 成田山新勝寺を参拝


JR日暮里駅構内、京成電鉄改札口前広場に12名が集合して、
成田山へ向かった。京成成田駅に10時20分に到着。
一列車で1時間10分の乗車時間は今までで一番長い。

成田山までは徒歩で15分との表示があった。
参道脇に並んだ干支の動物や、お店を眺めながら歩いた。
眼前に立派な総門。この門は2008年建立。
高さ15mの総欅造。
参道脇の建物は歴史を感じさせる          総門
 
総門を過ぎると、正面に堂々とした仁王門が迎えてくれる。
この門は1831年に再建された国指定重要文化財。
二天門の中央から下がる大提灯の字は何と書いてあるのだろうか? 
すぐに「魚がし」と答えたのは蓮見さん。
 
向かって右手に那羅延金剛(阿形)、左手に蜜迹金剛(吽形)の仁王が立ち、
反対側右手に広目天、左手に多聞天の二天が立っている。

総門から見る仁王門(重文)
 
蜜迹金剛(吽形)    那羅延金剛(阿形)

多聞天          広目天
 
階段を登りきると大本堂の勇姿が眼に入る。護摩祈祷の声が聞こえてくる。
堂の外側にある通路を巡ると裏手に岩山があり、不動明王や三十六童子像が
あちらこちらに立っている。役行者の姿も見える。
また、本堂の裏側には大日如来(中央)、聖徳太子(向かって左)、
虚空蔵菩薩(右)の像が祀られていた。
境内案内図             大本堂 
 
大日如来像 他       護摩祈祷を終えたお坊さん 
 
大本堂の近くに色彩豊かな堂塔が建つ。三重塔と聖徳太子堂。
三重塔は1712年建立の重要文化財。
塔内には大日如来始め五智如来が祀られている。
一層部分には阿弥陀如来(西)や不空成就如来(北)などの
如来名が表記されていた。
 
法隆寺夢殿を思わせる八角形の造りは、
いかにも聖徳太子をイメージさせる。
この聖徳太子堂は1992年建立、2007年に修復されたとのこと。
 
三重塔(重文)        聖徳太子堂
 
大本堂の参拝を済ませた後は、三重塔を背にして記念撮影。
 
次に、向かった先は、「釈迦堂」。1858年に建立された重要文化財で、
かつての本堂。大本堂の建立にあたって、現在の場所に移築されたとのこと。
堂の周りには五百羅漢や二十四孝の見事な彫刻で飾られている。
堂内の須弥壇には釈迦如来を中央に、文殊、普賢、弥勒、千手観音の菩薩が
鎮座。
釈迦堂の解説板       釈迦堂(重文)
 
釈迦堂の次は、光明堂。こちらも1701年建立の重要文化財。
釈迦堂の前の本堂。ご本尊の大日如来を中心に、正面右手に、愛染明王、
左手に不動三尊像が安置されている。
以前は須弥壇がもっと前にあったが、今の位置にセットバックされたと
お寺の方からご説明を受けた。
光明堂の解説版        光明堂(重文)
 
額堂は現在修復中であり、拝観できない。この堂も重文となっている。
最後に、向かった先は平和の大塔。五階建の大きな建物だ。
二階明王殿には大塔のご本尊・不動明王が鎮座し、
周りを降三世明王(東)、軍荼利明王(南)、
大威徳明王(西)、金剛夜叉明王(北)囲んでいた。

額堂の解説文           大塔の解説文

光明堂から平和の大塔へ向かう際の眺めは絶好のビュースポットで
あると、境内で作業する方達から教えられた。
また、油をかけ事件の被害を受けた、弘法大師像を
眼にすることとなった。
絶好のビュースポット    被害に遭った弘法大師像
 
見どころ満載の成田山 参拝を終えて、昼食の時間となった。
美味しい鰻を頂くことに決まった。
どのお店にするかを思案していたところ、高野さんに案内され、
着いたお店が「うなぎの川豊」。
店先では鰻を捌いて焼く準備をしている。
 
高野さんは成田山に向かう際に目星をつけておいたそうだ。
美味しい鰻に、皆さん大変満足した。
来月の見仏会感想では「鰻重」を挙げる人が多いのではないかとの
冗談も飛び出した。今回も楽しい参拝となった。



2015年6月19日金曜日

6月学習会テーマは「仏教伝来時の抗争」と「空海の足跡」


定例会参加者25名。5月見仏会参加者から「金沢文庫特別展 
日向薬師」についての感想を伺った。

皆さん、鉈彫の魅力について認識を新たにされていた。
通常の仏像より、素朴さに、かえって有難味を感じるとの
感想もあった。

近況報告の中では、朝比奈さんが二十五菩薩の彫刻に取り掛かった
経緯と、学習に訪れた京都、奈良の寺院を紹介された。
身近な方の死に直面し、人の生死を考える中から二十五菩薩制作を
決意されたとのこと。年間数体彫っても10年近くかかる。
作品が出来上がる都度、ご披露願いたい。

今月の学習会は「仏像の観方、楽しみ方 Part3」。
今回は弘法大師の足跡を話す予定にしていた。
急遽、仏教伝来の話をリクエストされ、二つのテーマを話すこととなった。
先ず、仏教伝来時の「蘇我氏と物部氏の抗争」にスポットを当てた。
崇仏派の蘇我氏に対し、排仏派の物部氏が争い、
蘇我氏が勝利したと理解してきた。
蘇我氏 VS 物部氏
 
物部氏は「本当に排仏派だったか?」という話を先日伺った。
川崎大師仏教文化講座で小峰彌彦氏が「弘法大師と曼荼羅思想」の中で、
物部氏は排仏派ではなかったのではないかとのご見解を示された。
 
小峰氏は大正大学元学長であり、練馬区観蔵院のご住職でもある。
仏教を信仰と学問の両面から長年関わってこられた方だけに言葉に重みがある。
次の天皇を誰にするかの抗争であり、決して宗教戦争ではなかったとする説だ。
 
その中で注目したことは、奈良時代に活躍した高僧を多く輩出したのが、
阿刀氏であり、阿刀氏は物部氏の流れを汲むということだ。
 
空海の母方が阿刀氏であり、物部氏と空海が繋がるように感じ、
蘇我ー崇仏ー勝ち、物部ー排仏ー負けの構図に疑問を感じるようになった。
物部氏に対する知識をもっと深める必要がある。
物部氏は本当に排仏派?

阿刀氏繋がりで空海の交遊録に目を転じた。
還学生(げんがくしょう)の最澄に対し、
留学生(るがくしょう)の空海が
あれほどまでに、活躍できる場面を用意できたのは、
阿刀氏のバックアップがあったのではないかと想像する。
 
還学生は官費留学、留学生は私費留学。人脈においても、
伊予親王の侍講(じこう)に叔父の阿刀大足がいることで、
桓武天皇とも面談できる機会もできたことだろう。
 
遣唐使として唐に行くまでの空海と、
多くの請来物を携えて唐から帰朝した空海とは
天地の開きがある。
<空海交遊録>
 
空海と歴代天皇(桓武~醍醐)との関わりをまとめた表を下に掲載。
「空海ー弘法大師への足跡」として、主たる事績を載せてみた。
嵯峨天皇から高野山を下賜されたのが、816年、今年で1200年となる。
歴代天皇の庇護を受けたことが良く分かる。
BACで、過去参拝した寺院も空海所縁の寺院が多くある。
取り分け、真言宗智山派 関東三大本山
「高尾山薬王院」「川崎大師平間寺」「成田山新勝寺」は有名。
今月は「成田山新勝寺」を参拝する。
これで三大本山すべてを巡ることとなる。
 
BAC学習会も予定が目白押しとなった。
楽しみなテーマばかり。こうご期待!!
 
7月  井戸正一さん 「神社 Part2」
8月  小池 博さん 「仏像の持物」
9月  朝倉相子さん 「川原寺の謎」
10月 朝比奈義幸さん 「阿弥陀聖衆来迎像」
11月 渡辺亮一さん 「私が出会った国宝仏」
 
テーマを決めて、どなたでも自由に発表できるBAC。
先ずはチャレンジ!
 
 
 
 

2015年6月14日日曜日

日蓮宗大本山 池上本門寺を参拝


6月13日、荻窪東館の会員18名と日蓮宗の大本山池上本門寺を
参拝した。霊宝殿の開館は原則、日曜日だけ。
1週間前に、拝観したい旨の電話を入れたところ、
快く開館をご了承頂いた。
お蔭様で、今回の拝観が可能となった。

先ずは総門を通り、96段の階段を登る。
この坂は加藤清正が寄進したとのことであり、名前も付けられている。
「此経難持坂(しきょうなんじさか)」と言う。96段とする理由についても
解説板に書かれている。名前が付けられると親しみが増す。
「此経難持坂」の解説文       坂を登る皆さん

階段を登り終えて振り返ると、坂の左手に大きな石像が堂々として立っている。
日蓮上人の勇姿。さながら「喝」と叱りつけるような雰囲気がある。
何かと過激で対立の多い、日蓮上人らしい像だ。
日蓮上人立像
予約していたこともあり、直ぐに霊宝殿に入った。
池上本門寺に伝わる数々の名品が展示されている。
日蓮上人ご真筆と言われる十界曼荼羅やお経など、
書跡の多さが目につく。

本堂に当たる大堂を参拝した。実に立派な建物で、池上本門寺で
一番大きいようだ。
内陣の天蓋が金色に輝き、正面厨子の中には日蓮像が鎮座。
外陣天井には川端龍子画伯の描いた龍図が未完のままとなっている。
大堂参拝を終え、歓談の皆さん
 
次に向かったのは「経蔵」。空襲を免れた建物は、
この経蔵と五重塔、多宝塔、総門の4つとのこと。
近くを通ったお坊さんの説明で知った。
 
経蔵の中には八角形の輪蔵(書架)があり、
その中に一切経が収められていたとのことだ。
外からは、輪蔵の形も確認できない。
そこで、建物の周りを一周してみた。ご利益はいかに?
経蔵の解説文        中央に「十界曼荼羅」

経蔵の北にあるお休み処を過ぎ、本殿に向かう門のそばに
菩提樹の木を発見。
いい香りがし、引き付けられるように集まった。
流石、仏像好きの皆さんならではの行動に思えた。
菩提樹を眺めながらの歓談
 
次に向かった先は、五重塔と墓所。池上本門寺は
著名な人たちのお墓があることで有名。

先ずは五重塔の直ぐ近くにある幸田露伴始め幸田家のお墓をお参りした。 
墓所を散歩中の方(山本さん)とご挨拶を交わし、雑談するうちに、
著名人の墓石紹介と解説までして頂くこととなった。
これも不思議なご縁だ。
幸田家墓所をお参り    幸田家墓所から見る五十の塔

山本さんの解説に耳を傾ける       力道山の墓所

五重塔をバックに記念撮影
 
境内、墓所の散策を終え、お休み処で昼食を取る。
幸いにも、全員が着席できた。
 
昼食後、希望者のみ川端龍子記念館まで足を伸ばし、
龍子の大画面を堪能した。
とりわけ、チラシにもなっている蔵王権現の画「一天護持」には
圧倒的される。
また、65歳以上が無料とはちょっと驚き。

大田区立龍子記念館       展覧会チラシ


2015年6月11日木曜日

講演会2日目のテーマは「四天王」と「立体曼荼羅」



阿佐谷地域区民センターでの講演会も2日目となった。
今回のテーマは守護神の「四天王」と、
如来から天部までの諸尊像が一堂に会する「立体曼荼羅」とした。

本日も、初日(6月4日)同様、ほぼ満席の盛況となった。
初日にお渡ししたレジュメをお忘れになった方は1名だけ。
皆さん、ご熱心の様子が伺える。

「仏像入門」と銘打った講座も、少し専門的過ぎ、退屈と
なったのではないかと危惧。
ところが、皆さん、真剣にお聴きになられ、
「なるほど」と頷く場面も多く、一安心。

最初に、須弥山世界の中で四天王
(持国天、増長天、広目天、多聞天)が守護する方位と
須弥山山頂で四天王を統括する帝釈天について解説。

次に、「方位、四神、四天王」に関連することを一覧にまとめた
図でお示しした。
今回、四天王についてご紹介した内容は下記の通り。
特に「四天王」として国宝に登録された9件36軀の仏像中心に、お話した。

「方位 四神 四天王」      「四天王」ご紹介内容
 
ご紹介の国宝 四天王像   左記四天王が守護するご本尊
 
次に、「曼荼羅」を話題にした。高野山開創1200年で、
弘法大師 空海についての話があちこちから聞こえてくる。
タイムリーな話題でもあり、また「慈悲の顔、忿怒の顔」
すべてを擁する東寺講堂の立体曼荼羅を取り上げて
解説させて頂いた。
 
北西インドで生まれた胎蔵(界)曼荼羅と
南インドで生まれた金剛界曼荼羅が
中国に渡り、両部曼荼羅となった。

直後に、空海が遣唐使として派遣され、恵果阿闍梨から
後継者指名を受け、秘伝の修法を引く継ぐことになった。
何とドラマチックで運命的な出会いであったか。
その出会いがなければ、東寺講堂の諸尊像制作も
なかったのではないかと思う。
 
両部曼荼羅             胎蔵界曼荼羅
 
胎蔵界は「理の曼荼羅」、金剛界は「智の曼荼羅」と言われる。
仏や神で満ち溢れた世界は日本古来の「八百万の神」に
通じるものを感じる。
 
空海も四国や日本各地の山々を巡り、曼荼羅世界を
体感していたのではないかと想像する。
 
胎蔵界曼荼羅は中台八葉院のエネイルギー左右に分かれ、
左の「慈悲グループ」と
右の「智慧グループ」の諸尊像となっていく。
 
そしてそのエネルギーが更に、慈悲と智慧を兼ね備えたグループとなる。
そのグループの代表的な菩薩のご紹介もした。
 
最後に、東寺講堂の立体曼荼羅・仏像配置や仏像の役割について話した。
21体のうち、1体を除き、20体が国宝または重文とは凄い。
何度拝観しても興味が尽きない曼荼羅の世界だ。
 
仏像配置図          三輪身(自性、正法、教令)
 
大日如来を囲む五智如来は「自性輪身」として仏法の真理そのもの。
大日如来の智慧を4人の如来で分担している。
その真理を慈悲の姿で伝えるのが「正法輪身」の五菩薩。
優しく言っても聞かない者に対しては忿怒の姿で伝えるのが
「教令輪身」の五大明王ということになる。
 
すべての根源は大日如来であり、相手に応じて変化した姿で
真理を伝えると言うことになるようだ。
言葉での理解は難しい。
 
東寺講堂の諸尊像を前にして、何を感じるかは
人それぞれかもしれない。ぜひ、ご体感ください。
 
講演会の都度、お見かけする方が何人もいらっしゃる。
ぜひ、仏縁を更に深めたいと願っている。
また、お会いしましょう。合掌。