2019年2月25日月曜日

「空海と所縁の寺院・仏像・曼荼羅」(Ⅰ)


2月23日(土)14時~16時、阿佐谷地域区民センターにて
仏像の観方・楽しみ方講演会が開催された。

60名の定員に110名を超える応募があったとのこと。当日の
参加は70名を超えた。欠席者は当選通知者2名だけとのこと。

阿佐谷地域区民センターでの仏像講演会は2013年に開始し、
6年間で、12回目となる。毎回、大勢のご参加があり、講師
冥利に尽きる。

今回のテーマは「空海と所縁の寺院・仏像・曼荼羅」(❶)。
仏像は密教寺院に名品が多い。密教と言えば空海であり、また、
曼荼羅が浮かぶ。

そこで、仏像だけでなく、空海の事績や思想にも言及したい。
浅学菲才であり、誤った解釈や誤解を招く表現があった場合
は、ご容赦頂きたい。
❶講演会テーマ
講演会場の様子は❷、❸の通り。
❷会場の掲示       ❸講演会の様子

今回の内容を、何回かに分けて、アップしたい。先ずは、空海年表
で足跡を辿りたい。空海の著作、時代背景の出来事も記載した。
空海の言動は、同時代の著作を照らし合わせると、その意味する
が良く理解できる。

1.空海年表(❹、❺、❻)
  今回、注目した著作は3作。
  「聾瞽指帰(ろうこしいき)」(24歳作)、
  「弁顕密二経論(べんけんみつにきょうろん)」(42歳作)、
  「秘密曼荼羅十住心論(じゅうじゅうしんろん)」(57歳作)。

  母方のおじ、阿刀大足(あとのおおたり)に学ぶため、15歳
  で上京する。18歳で大学の明経科(みょうぎょうか)に入学。
  阿刀大足は、伊予親王(桓武天皇の皇子)家庭教師をしており、
  空海には、天皇と接する機会があったに違いない。

  大学は、官吏になるための勉強であり、空海は満足せず、疑問
  を感じていた。ある僧から「虚空蔵求聞持法(こくうぞう
  ぐもんじほう)」を学び、山間や海岸の洞窟で修行に励む。

  24歳で書いた「聾瞽指帰」は出家宣言の書と言われている。
  儒教、道教、仏教の中で一番優れているのは何かを論じている。
  改訂版が「三教指帰(さんごうしいき)」と呼ばれる。

  儒教は、ただ単に現実を肯定し、処世術を教えるに過ぎない。
  道教は、現実に面と向かわず、斜に構え、虚無に逃げている。
  現実とは何か。人間が生きることは何か。この世とは何かを
  本当に問うているのは仏教だと、空海は考えた。

  目標の大きさ、志の高さにおいて仏教が一番と判断したもの
  と思われる。佐伯真魚(さえきのまお)から空海への変身。

  空白の7年を経て、遣唐使となった空海は、唐の恵果阿闍梨
  から密教の奥義をすべて伝授され、遍照金剛となる。そして、
  20年の留学期間をわずか2年で切り上げて帰国する。
❹空海年表① 

  帰国した空海は、新天皇となった平城天皇から入京が許されない。
  唐から請来した経典・仏具・仏像・仏画などの一覧「御請来目録」
  を作成し、朝廷へ提出した。目録の巻紙は長さが10mにもなる
  と言う

  この目録に一番驚いたのは、最澄ではないかと言われる。最澄こそ
  その価値を一番理解していた。最澄は、桓武帝の頃から、当代随一
  の高僧とされていた。

  天皇が平城から嵯峨に代わり、事態が一変し、空海の入京許可が
  下りる。空海と嵯峨天皇の交流が始まる。早速、乙訓寺の別当に
  任命された。最澄は乙訓寺の空海を訪ね、弟子入りを申し出る。

  何という出会いか。最高峰の僧が、弟子入りを請うとは、どの
  ように解釈したら良いことか。最澄の向学心や、謙虚で誠実な
  態度は心を打つ。実直な最澄に好感が持てる。

  空海は快諾し、高雄山寺(後の神護寺)で金剛界、胎蔵界の
  灌頂を授ける。その後、二人の間に溝が出来始める。そこで
  注目の著作が、42歳の空海が書いた「弁顕密二経論」。

  密教と顕教の違いやその優劣を論じた書であり、空海、最澄
  がなぜ対立することとなったかが分かる。教義のすべてが、
  経典に書かれている顕教と、言葉では伝えられない奥深い
  ものがあるとする密教では大きな違いがある。

  経典により修得することを良しとする最澄に対し、経典を
  離れて、修行による体得が必要とする空海であり、両者の間
  には立場の違いが生じた。

❺空海年表②

  次に、注目した著作は57歳の作「秘密曼荼羅十住心論」。
  簡略したものが「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」。この著作
  は、淳和天皇から各宗に対し、「それぞれの宗義を書いて差し
  出すよう」勅命が下され、応える形で、提出されたもの。

  十住心論とは心の発展段階(悟りへの段階)を10の段階に
  分け、最高位の第十秘密荘厳住心が真言宗とした。即ち、
  煩悩にまみれた心から、儒教、道教、仏教に目覚めた段階、
  更には仏教各宗を各段階に割り当て論じている。
❻空海年表③

  空海思想の足跡を辿るとき、「聾瞽指帰」「弁顕密二経論」
  「秘密曼荼羅十住心論」で思想展開が明確に分かる。
  儒教、道教より仏教、仏教では顕教より密教、更には、全体
  を10の段階に分け、真言密教を最上位と位置づけた。

  このランクづけは、さすがに他宗派から激しい抗議があった
  と聞いている。

  次回は、空海の交流について報告する。



2019年2月16日土曜日

中島憲子さん「檀像」について発表!


2月15日のBAC定例会において、中島憲子さんが「檀像」
について発表された。
発表される中島さん     発表を聴く参加者

インドの優填王(うでんおう)が香木で釈迦像を造った。その木が
インドでは「栴檀(せんだん)」と呼ばれた。中国では唐代から
「白檀(びゃくだん)」と呼ばれるようになったとのこと。

続いて、白檀の材質や白檀で作られた仏像「檀像」の説明があった。
また、白檀を産出しない中国、日本で代用材として使われた木材は
一覧表にして解説(①)

一通り、話された後、画像をスクリーンに映し、檀像を紹介された。
(解説付きの画像は②~⑫の通り)

十一面観音神呪心経義疏で規定されているためか、檀像の観音像が
多いように思える。(②、③、⑤、⑥、⑦、⑧)

諸尊仏龕 は律令国家が大極殿などで行う最大の国家仏事の本尊に
白檀仏龕 が迎えられていたそうだ。また、天皇や貴人の念持仏
とされたようだ。(④)
①代用材の一覧     ②東博・十一面観音立像

③法隆寺・九面観音立像    ④金剛峰寺・諸尊仏龕 

⑤海住山寺・十一面観音立像 ⑥奈良博・十一面観音立像

⑦法隆寺・如意輪観音坐像 ⑧小松寺・浮彫如意輪観音坐像

⑨仁和寺・薬師如来坐像 ⑩東寺・兜跋毘沙門天立像

⑪清涼寺・釈迦如来立像 ⑫宝菩提院・菩薩半跏像