古寺・名刹を参詣する際の事前準備に基礎知識となるものをまとめていた。
このことにより、実際の参詣がより内容の濃いものとなったように思う。
「古寺名刹の歴史と寺宝」シリーズ第二弾は薬師寺を取り上げた。
度を過ぎた情報収集は、素直な感動を阻害することにもなりかねないため
ほどほどが良いこともあり、注意を要する。
1.薬師寺の概要と略年表
薬師寺の創建は、天武天皇が皇后・鸕野讚良(うののさらら、後の持統
天皇)の病気平癒を発願して建立したお寺である。平城京遷都と共に、
現在の地に移転された(❶)。
薬師寺の歴史の中で注目したのは、「発願、堂塔造立」の歴史、次いで
明治・大正の「神仏分離・廃仏毀釈から文化財保護」(❷)、そして
昭和・平成の「白鳳伽藍復興」(❻)の3点である。
薬師寺の造立は天武→持統→文武→元明→元正→聖武と歴代天皇に引き
継がれて行ったことが略年表(❷)から読み取れる。
また、神仏分離や廃仏毀釈と言った、天下の愚策や妄動があった中、
フェノロサや岡倉天心等のお蔭で貴重な国家的遺産が残された。
❶薬師寺の歴史と寺宝 ❷薬師寺略年表(一部)
2.国宝建造物
国宝となっている建造物は2棟、「東塔」と「東院堂」である(❸)。
東院堂建立の吉備内親王は、文武・元正天皇の姉妹であり、長屋王の后
となった人物である。藤原氏との政争に巻き込まれ非業の死を遂げる。
創建当時唯一の建造物が東塔である。建築美が「凍れる音楽」と称せら
れる東塔が残っていたからこそ、白鳳伽藍の復興計画が可能となったと
言える。
❸薬師寺の国宝建造物
3.白鳳伽藍復興の功労者
明治期の薬師寺伽藍は廃仏毀釈の影響により荒れ果てていた(❹)。創建
当初の伽藍復興は薬師寺積年の願いであった。そのような中、登場したの
が、高田好胤管長だ。
高田管長は金堂の復興資金10億円を集めるのに多くの人に働きかける勧進
を始めた。さながら、東大寺復興を果たした鎌倉時代の重源、江戸時代の
公慶のようだ。ところが、「タレント坊主」などと揶揄されることもあり、
資金調達は難航した。
人は誰でも心にオアシス(仏心 ほとけごころ)持っている。「写経に
よって、心のオアシスを掘り当てませんか」の訴えが人々の琴線に触れ、
写経納経が急増した。写経勧進が100万人に到達し、目標達成となった。
(納経料1000円×100万人=10億円)
また、高田管長が選んだ伽藍再建の宮大工は「鬼」と称された日本一の
宮大工、西岡常一棟梁だった(❺)。最強のコンビがタッグを組むことで
復興計画が進められた。宮大工 西岡常一の遺言『鬼に訊け』という記録
映画(❺)は、一見の価値がある。
最近、NHKプロジェクトX挑戦者たちという番組で『薬師寺 幻の金堂
ゼロからの挑戦』として紹介(再放送)され、懐かしく視聴した。
❹明治期の薬師寺伽藍 ❺白鳳伽藍復興の功労者
4.白鳳伽藍復興の推移
白鳳伽藍の復興は、金堂に始まり、西塔、中門、大講堂、食堂と進んで
いった。間に、玄奘三蔵院と言う新たな伽藍も建立されて行った(❻❼)。
国宝東塔の大修理も2020年に完了し、再び優美な姿を目にすることが
できるようになった。
❻白鳳伽藍復興の落慶 ❼復興した白鳳建造物
5.堂塔のご本尊は名品揃い
白鳳伽藍に安置された仏像と言えば、金堂の薬師三尊像と東院堂の聖観音
像。金銅仏の中で美しさで1、2を競い合う尊像と言える(❽、❾)。
また、大講堂では、弥勒如来を中尊に、両脇に無著像、世親像が配置され
ている(❿)。同じような尊像配置は、興福寺北円堂(⓫)で観ることが
できる。これは、法相宗寺院ならではの配置のようだ。法相教学の系譜に
ついて、次にまとめた。
❿大講堂の弥勒像と脇侍像 ⓫興福寺の弥勒像と脇侍像
6.法相教学の系譜と唯識思想
仏教はインドで生まれ、中国へ渡り、日本へもたらされた。法相宗の基と
なる法相教学は「弥勒」の瑜伽唯識説を無著・世親の兄弟が大成させた。
この弥勒は、未来仏の弥勒とは別でありながら名前が同じことから同一視
されるようになったとのことだ。
次に、玄奘三蔵は経典を求めてインドを旅し、経典を中国へ持ち帰った。
持ち帰った経典を漢訳し、法相教学を体系づけたのが玄奘三蔵と弟子の
慈恩大師である。
そして、遣唐使として唐へ渡り、玄奘三蔵に師事し、法相教学を学んだ
のが道昭となる(⓬)。これが、法相教学の系譜と言える。この道昭は
略年表(❷)698年「大僧都に任ぜられる」とある。日本における
法相宗の開祖と言われる。
法相宗の唯識思想とは、「見る人によりそれぞれの世界であり、客観的
に同一の世界ではない」と言う事だ。見方が変われば世界も変わるとも
言える。
薬師寺、興福寺の法相宗寺院で弥勒如来、無著・世親、玄奘三蔵、慈恩
大師が祀られるのは法相教学の系譜にあるからである。
⓬法相教学の系譜と唯識思想
7.その他所蔵の国宝文化財(図像や神像)
国宝で色彩も鮮やかな図像に「吉祥天像」と「慈恩大師像」がある。共に
法要の際に、堂内に安置されるようだ。吉祥天像は正月に行う「吉祥悔過
法要」で金堂薬師三尊像の御宝前に祀られる。
慈恩大師像は、「慈恩会」(慈恩大師の忌日11月13日)に大講堂に掲げら
れるとのことだ。
休ヶ岡八幡宮の八幡三神像は国宝の小像である。石清水八幡宮が創建され
て以来、寺院の鎮守社、守護神として八幡神が勧請された。神仏習合が
進んだ結果である。神像の国宝は全国6件13軀しか指定されていない。
その中の1件3躯が本像であり、大変貴重な神像と言える。
⓭吉祥天像、慈恩大師像 ⓮休ヶ岡八幡宮の神像
8.玄奘三蔵院伽藍の仏像と壁画
玄奘三蔵は法相宗の鼻祖に当たり、遺徳を顕彰するために玄奘三蔵院伽藍
は建立された。玄奘塔には玄奘の彫像(⓯)とともに、ご遺骨も祀られて
いる。ご遺骨は次のような経緯で薬師寺に安置されるようになったそうだ。
昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵の
ご頂骨(頭部の遺骨)を発見し、その一部が全日本仏教会に分骨され、
更に、玄奘三蔵所縁の寺院として薬師寺に分骨されたとのことだ。正に
仏舎利のようにも思える有難いお骨だ。
また、玄奘三蔵院には平山郁夫画伯の大塔西域壁画7場面13枚全長49mの
大作が掲げられている。壮観であり、画伯の仏教への熱い思いを感じさせ
る。
⓯玄奘三蔵院伽藍の仏像・壁画