2020年7月26日日曜日

中尊と脇侍・眷属<釈迦如来グループ>


仏像の観方・楽しみ方の一つに、中尊を中心に脇侍・眷属を
含めたグループ全体の構成を知った上で、観覧することだと
感じている。

中尊に従う脇侍・眷属の顔ぶれを整理することで、仏の世界
を多面的に眺めることができる。合わせてそれぞれの尊像が
持つ意味を探ることで興味が更に広がる。最初に、仏教開祖
の釈迦如来を取り上げてみたい。

★釈迦如来の脇侍  文殊菩薩・普賢菩薩
三尊像となる場合、両脇侍は、一方が「智慧」を、他方が
慈悲」を象徴すると、高僧からご教示頂いた。釈迦如来が
中尊の場合、文殊菩薩が「智慧」を、普賢菩薩が「慈悲」の
象徴となる。

「智慧」とは、「仏の智慧」、「悟りへの智慧」であり、
我々が日常使用する「知恵」とは違う。「貪(とん)」
「瞋(じん)」「痴(ち)」の煩悩(三毒)を断ち切り、
真理に目覚めることへ導く力(パワー)と理解している。
そして、その力は他人に対してではなく自分自身に向け
られるものと思う。

「慈悲」とは人々の「幸せが続くことを願う(慈)」、
「苦しみから抜け出せるように寄り添う(悲)」という
心(ハート)と認識している。その心は相手に対して
向けられるものだ。

1.奈良・法隆寺上御堂 釈迦三尊像(❶)
  法隆寺上御堂の釈迦三尊像では、左脇侍(ひだりわきじ)、
  即ち、中尊から見て左側の像が文殊菩薩であり、右脇侍が
  普賢菩薩となっている。左の方が上位者と言われている。

  釈迦如来は「施無畏印」(恐れなくて良い、心配しなくて
  良い)と「与願印」(望みを叶えましょう)の印相をして
  いる。

  文殊菩薩は、煩悩を断ち切る「宝剣」と仏法の「経典」を
  手に持ち、「智慧」を象徴している。普賢菩薩は清浄な心・
  悟りの象徴である「蓮華」の花を持って、「慈悲」を象徴
  している。この法隆寺上御堂の三尊像については5月10日
  の投稿で解説しており、ご参照ください。
❶法隆寺上御堂 釈迦三尊像

2.岐阜・願興寺 釈迦三尊像(❷、❸)
  岐阜県可児郡御嵩町にある願興寺(がんこうじ)は天台宗の
  寺院。ご本尊の釈迦三尊像は、左脇侍が普賢菩薩、右脇侍が
  文殊菩薩となっている。法隆寺像(❶)とは反対の配置。

  普賢菩薩は、に載せた蓮華座に坐し、文殊菩薩は、獅子
  載せた蓮華座に坐す。象はいかなる障害も乗り越え前に進む
  (ぎょう=慈悲の行動)の象徴であり、獅子は、あらゆる
  敵に打ちかつ最強の力を象徴する。

  仏教では、白い象は神聖な動物であり、釈迦の教えを広める
  とされる。獅子の遠吠え[獅子吼(ししく)]は釈迦の教え
  とされる。

  釈迦如来の印相は説法印となっている。転法輪印とも言い、
  釈迦が悟りを開いて、最初に説法を行った時の姿とされる。
  釈迦の五印と言われる印相の一つである。

  釈迦の五印とは「施無畏印」「与願印」「説法印」のほかに、
  瞑想している時の姿を表す「禅定印」、釈迦が悟りを開いた
  時に、邪魔しに来た悪魔を、指を大地に触れて退散させた姿
  を表した「降魔印(ごうまいん)」のことを言う。
❷願興寺 釈迦三尊像       ❸同左 解説図

★釈迦如来の脇侍  薬王菩薩と薬上菩薩
3.法隆寺金堂 釈迦三尊像(❹)
  法隆寺金堂の釈迦三尊像は脇侍が「薬王菩薩」「薬上菩薩」
  となっている。文殊・普賢に比べあまり馴染みがない。兄弟
  の菩薩であり、尊名からして薬に関係した菩薩であることは
  想像できる。

  「三十日秘仏(さんじゅうにちひぶつ)」と言って、三十日
  を周期として、特別な日(縁日)だけ御開帳が許される秘仏
  がある。薬王菩薩が29日、薬上菩薩が26日となっている。
  庶民信仰では知られた仏様かもしれない。

  法隆寺金堂の釈迦三尊像は日本最古の三尊像であり、極めて
  重要な脇侍像であることは確かだ。
❹法隆寺金堂 釈迦三尊像

4.奈良・興福寺中金堂 釈迦如来像と脇侍像(❺)
  2018年に301年ぶりに再建された興福寺の中金堂の
  ご本尊と脇侍を興味深く眺めた。中尊・釈迦如来坐像の
  脇侍に薬王・薬上菩薩が立つ。

  この薬王・薬上菩薩は鎌倉時代(1202年)制作で、国の
  重文指定を受けている。かつで、西円堂(焼失して今はない)
  に祀られていたそうだ。。
❺興福寺中金堂 釈迦三尊像

★禅宗寺院 釈迦如来の脇侍 迦葉尊者と阿難尊者
禅宗寺院では、釈迦如来の脇侍に、十大弟子迦葉阿難が安置
される。迦葉は「拈華微笑(ねんげみしょう)」の伝説が示す
通り、釈迦から正法を授かった人物。

釈迦の死後、経典編集事業(第1結集)の座長を務めた。頭陀第一
(ずだだいいち)と言われ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を
行った。

阿難は釈迦の侍者として、常に説法を聴いていたことから多聞第一
(たもんだいいち)と言われ、迦葉の跡を継ぐ人物。老成の迦葉
若々しい阿難の対比が面白い。

5.神奈川 小田原市・玉宝寺 釈迦牟尼仏と脇侍像(❻)
  玉宝寺(ぎょくほうじ)は曹洞宗の寺院。最寄り駅の駅名が
  五百羅漢駅。伊豆箱根鉄道大雄山線の駅で、命名の由来は、
  玉宝寺に祀られている五百羅漢像によるそうだ。

  ご本尊の釈迦牟尼仏の前、左右に高僧の像が安置されている。
  向かって右が迦葉尊者、左が阿難尊者。ご本尊の両脇に見える
  菩薩像は、文殊・普賢か。

  玉宝寺の本堂には五百羅漢像や十六羅漢像が、所狭しと並んで
  いる。その数526体とのこと。正に圧巻の光景だ。
❻神奈川 小田原市・玉宝寺

6.東京 目黒区・五百羅漢寺 釈迦如来と脇侍像(❼)
  禅宗の黄檗宗から独立し、単立寺院となっている東京目黒区の
  五百羅漢寺にも、本尊の釈迦如来を中心に多くの羅漢像が祀ら
  れている。

  東京都指定有形文化財に指定の像が305躯ある。内訳を見る
  と、次のようになっている。
  ●釈迦如来及両脇侍像 3躯
  ●大迦葉阿難陀両尊者像2躯
  ●十六羅漢立像    5躯
  ●五百羅漢坐像  287躯 など。

  僧形の迦葉・阿難と菩薩形の文殊・普賢の配置が、玉宝寺と逆に
  なっている。いずれにしても、禅宗寺院では迦葉と阿難を本尊の
  そばに祀っている。
❼東京 目黒区・五百羅漢寺

7.京都 東福寺三門楼上須弥壇 宝冠釈迦如来と脇侍像
     ~月蓋長者と善財童子~
  京都 東福寺三門楼上須弥壇には宝冠釈迦如来の脇侍に、月蓋長者
  (がっかいちょうじゃ)と善財童子(ぜんざいどうじ)が安置され、
  十六羅漢像も並ぶ。
  
  月蓋長者は古代インドの富豪で、悪疫が流行した際、弥陀三尊を祀り
  悪疫を除いたという。善光寺縁起で一光三尊仏が誕生する説話に登場
  してくる。

  善財童子は、華厳経入法界品に登場する若者で53人の善智識を訪ね、
  修行を続ける。最後の普賢菩薩に会って、浄土往生を願ったという。
  なぜ、この二人が脇侍に選ばれたのだろうか。
❽京都 東福寺三門須弥壇   ❾同左 釈迦三尊像と羅漢像

★興福寺西円堂の本尊と脇侍・眷属を再現すると…(❿)
興福寺西円堂(さいえんどう)は奈良時代、光明皇后が母・橘美千代
の一周忌に際し建立したお堂。度重なる焼失で、鎌倉時代の再建には
運慶にによって本尊の丈六釈迦如来像が制作されたと伝わる。また、
江戸時代に焼失後は再建されないで、今日に至っている。

鎌倉時代の西金堂内陣を現存する仏像で再現するとすると、次のよう
になる。運慶作・釈迦如来(木造仏頭)を中尊に脇侍に薬王菩薩・
薬上菩薩眷属八部衆、十大弟子、金剛力士(阿形・吽形)、
天燈鬼・竜燈鬼が配置されている。

脇侍像の薬王・薬上菩薩は、2018年再建の中金堂に安置され(❺)
その他の諸尊像は、国宝館所在となっている。
❿興福寺・旧西円堂所在の諸尊像

薬王菩薩と薬上菩薩、迦葉と阿難、月蓋長者と善財童子はどちらが
智慧、どちらが慈悲の象徴か、どうぞ、ご自身でお考えください。

【中尊・脇侍・眷属シリーズ】 続く


2020年7月6日月曜日

「聖観音」と「観音菩薩」はどう違うのか?

【観音シリーズ 第7弾】

1.胎蔵界曼荼羅の「観音菩薩」と「聖観音」
 胎蔵界曼荼羅(❶)の「中台八葉院」と「蓮華部院」に登場する
 観音菩薩について確認したい。

 中台八葉院(❷)では「観自在菩薩」となっている。「観自在菩薩」
 や「観世音菩薩」は観音菩薩のことである。文殊、普賢、弥勒の各
 菩薩と共に、大日如来を囲む。いずれも、密教が成立する以前から
 の、大乗仏教の菩薩達だ。

 蓮華部院(❸)では「聖観音菩薩」と称して、馬頭、如意輪、不空
 羂索の各変化観音と一緒に、鎮座する。聖観音は密教の菩薩の一尊
 であり、先の観音菩薩とは区別されている。変化前の、本来の姿の
 観音を『正(しょう)観音』または『聖(しょう)観音』と称した。

 1面2臂の観音を「聖観音」と称するようになり、密教以前の大乗
 仏教の観音菩薩も、1面2臂なら聖観音と呼ぶようになった。また、
 聖観音と呼ばれる像は独尊像として祀られる場合に限られるようだ。
 (三尊形式の中尊の場合等も、聖観音と呼ばれている。)

 従って、阿弥陀如来の脇侍として、三尊像で祀られる場合などは、
 聖観音とは呼ばないことになる。 
❶胎蔵界曼荼羅 諸尊配置図・12院

❷中台八葉院諸尊配置図    ❸蓮華部院諸尊配置図

2.観音菩薩のルーツを整理すると・・・
 観音菩薩が登場する経典・思想を整理すると、ルーツは5つ(❹)
 になる。西方極楽浄土阿弥陀如来の脇侍(❹の①)として登場。

 法華経では、様々な姿に変身(三十三応現身)して衆生救済に、
 現れてくれる(❹の➁)。

 華厳経では南海の補陀落山の住むとされ、53人の善智識の一人
 として、善財童子を指導する先生となる(❹の③)。

 密教では6観音の中で「地獄道」の救済者となる(❹の④)。

 民間信仰では、楊柳観音、魚籃観音、白衣観音、水月観音などの
 「三十三観音」が広がる。いずれも、一面二臂の観音菩薩であり、
 像容は聖観音と同じと言える。
  (三十三観音霊場の観音と混同しないよう要注意。)
❹観音菩薩のルーツ

3.聖観音の特徴
 一面二臂が最大の特徴であり、持物が蓮華水瓶であることや
 を高く結い上げている(❺の左図)ことも挙げられる。

 鎌倉の東慶寺・聖観音菩薩立像は、何度もお目に掛った聖観音像
 の一躯である。鎌倉地方限定の特色「土紋(どもん)装飾」が施
 されているのも見どころと言える。

 この像は、元々、太平寺(鎌倉尼五山第一位、廃寺)のご本尊で
 あったものが、今は、東慶寺に祀られている。また、太平寺仏殿
 は、円覚寺に移築され、国宝の舎利殿となっている。

 何とも、数奇な歴史を辿った聖観音像と仏殿だ。感慨深くなる。
❺聖観音の特徴

4.代表的な聖観音
 A奈良・薬師寺東院堂 聖観音菩薩立像
  薬師寺金堂の薬師三尊像と同様、金銅仏の名作であり、美しさ
  においても群を抜いている。制作年代は「白鳳説」「天平説
  がある。

  密教請来以前の作でありながら、「聖観音」と称されている。
  この観音像はかつて、ある本尊の脇侍であったという説もある。
  本像が本尊として独尊で祀られるようになった時代に「聖観音」
  と称するようになったのではないかと勝手な想像を巡らしている。

  この像の伝来についての記録が無く、謎に包まれているようだ。
  その美しさと相俟って、神秘的な魅力が更に増す観音と言える。  
❻奈良・薬師寺像

 B奈良・不退寺 聖観音菩薩立像
  最大の特徴は、頭部の大きなリボン。全身が胡粉地(ごふんじ)
  で白くなってなっている。不退寺の開基は在原業平(ありわらの
  なりひら)であり、この聖観音像も業平自刻と伝わる。

  平城上皇の御所が皇子阿保親王へ、そしてその子、業平へと引き
  継がれ、不退寺となった。業平という人物像と、この聖観音像と
  を重ねると、味わい深さも一入である。
❼奈良・不退寺像

 C滋賀・延暦寺横川中堂 聖観音菩薩立像
  造像のモデルとなり、後に模して造られることの多い聖観音像に
  延暦寺横川中堂(よかわちゅうどう)の本尊がある。

  左手は「未敷蓮華(みふれんげ)」という蕾の蓮華を持ち、右手
  は、説法印の印相をして、胸前で蓮華に近づける。

  この聖観音像は、12世紀後半の作とのことであり、円仁が堂宇
  を建て、観音像を安置したと伝わる像と時代が違う。円仁所縁の
  像として、広く模倣されることとなったのだろう。
❽滋賀・延暦寺横川中堂像

 D京都・鞍馬寺 聖観音菩薩立像
  横川中堂の聖観音像と同じ像容をしている像に、京都・鞍馬寺の
  聖観音立像がある。作者は、京都・大報恩寺の六観音を制作した
  肥後別当定慶(ひごべっとうじょうけい)とされる。

  卵型のお顔をして、いかにも女性的な聖観音像だ。大報恩寺の像
  と、作風は確かに似ているように見える。

  一説に、肥後別当定慶は、運慶の次男康運と言われている。慶派
  との繋がりもあるとなると、この像に対する興味は更に深まる。
❾京都・鞍馬寺像

 E滋賀県長浜市の聖観音立像
  平成26年3月~4月と平成28年7月~8月に「びわ湖・長浜
  のホトケたち」特別展が東京藝術大学大学美術館で開催された。
  2度とも観覧することができ、大変楽しんだことを覚えている。

  長浜は「観音の里」と言われる程、観音菩薩が多く祀られている。
  その特別展でお目に掛ったホトケの中で、横川中堂の聖観音像と
  同じ手の形を取る聖観音像(❿)を多く目にした。比叡山の影響を
  受けた地域であることは一目瞭然。
❿滋賀県長浜市の聖観音立像

「一番人気」「有難い」「親しみが持てる」「頼もしい」などの表現
から最初に連想するホトケは、観音菩薩以外、考えにくい。仏像に興味
の無い人でも、観音菩薩はご存知のことと思う。

観音菩薩は、様々な側面を持っており、興味は尽きない。7回に分け
観音シリーズで整理してきたことも、今回で完結としたい。なお、
誤った理解や、かってな解釈等あった場合はご容赦頂きたい。


【観音シリーズ】