2018年6月14日木曜日

杉並稲門会主催「仏像の観方・楽しみ方」講演会開催


6月10日(日)2時から杉並稲門会主催「仏像の観方・楽しみ方」講演会
が開かれた。「稲門会」とは早稲田大学の同窓会のことであり、杉並区
には7つのブロックで構成される支部組織があるそうだ。

あいにくの雨にもかかわらず、41名のご参加があった。ほぼ9割は
男性の皆さん。今までの講演会では大半が女性であり、慈悲深い
観音菩薩のような優しい眼差しを感じて話した。

今日は事情が違う。智慧の文殊菩薩のような透徹した視線や怒りの仏
不動明王の険しい視線を浴びての講演になるのではないかと、勝手な
想像を巡らした。

ご参加者には・・・
・法隆寺釈迦三尊像の原型再現プロジェックに携わった方
・ご実家が高野山塔頭寺院の方
・杉並郷土史会の新村会長
・今回の講演会を企画され、仏像に造詣の深い山口さん 始め 
講演会テーマに関連する分野で専門的知識をお持ちの方々が
眼前に並んでいる。

ところが、講演会開始早々、不安も一掃される。皆さん温かい眼差しで、
大変熱心に耳を傾けて頂いた。さすが、早稲田大学! 人格者揃い‼
熱心にお聴きになるご参加の皆さん

1.仏像は仏さま、文化財?(第一のテーマ)
 「仏像の観方・楽しみ方」で最初にお話しするのは仏像の接し方(①)。
 「仏さま」か「文化財」か、捉え方で接し方も異なってくる。
 しかし、その線引きは難しいし、むしろ分けられないようにも思える。
 
 度重なる戦乱や火災を逃れて、護られた仏像は仏さまとして大事に
 されたからに他ならない。地中に埋められ、戦禍を免れた仏像もある。
 有難いことに、1000年、1500年も祀られている仏さまも数多い。

 仏像を文化財と認識したのは、明治期のフェノロサや岡倉天心によって
 であり、100数十年の歴史しかない。廃仏毀釈の嵐が過ぎた後の事だ。

 文化財として問題になるのは保存と公開のバランス。文化財を観光資源
 として活用しようとする文化財保護法改定が検討されている。保護が疎か
 になりかねないと改定を危惧する声が上がっている。先人の功績が台無し
 にならないことを祈る。
①仏像の接し方

2.仏像は何のために造られたのか? (第二のテーマ)
 一般的な彫刻は、作者が伝えたいことを作者の感性で造形したものである。
 一方、仏像は経典や儀軌によって造形の決まりがある。仏の三十二相・
 八十種好(しゅごう)や不動十九観などがこれに当たる。造立発願者の
 意向や仏師による個人差はあるものの、大枠で決まっている。
 
 仏像は仏教思想・教義・メッセージを伝えるために造立されている。即ち、
 仏教の二大テーマ(二本柱)である「慈悲」と「智慧」(②、③)と言える。
②仏教の二大テーマ・慈悲    ③仏教の二大テーマ・智慧
 
 三尊像を例にして、解説を加えた。中尊の如来に対し、両脇侍が慈悲と智慧を
 分担している。阿弥陀如来では慈悲の観音、智慧の勢至(④)。釈迦如来では
 智慧の文殊に、慈悲の普賢(⑤)。
 
 不動明王が中尊の場合においても、慈悲の矜羯羅童子、智慧の制多迦童子と
 なっている。更には不動明王の持物においても、智慧の宝剣と慈悲の羂索とで
 それぞれを象徴している(⑥)。
 
 胎蔵界曼荼羅や金剛界曼荼羅についても同様なことが言える。時間の関係で
 講演会では割愛となった。
④三千院・阿弥陀三尊像     ⑤法隆寺上御堂・釈迦三尊像
 
⑥不動明王 二童子像 
 
3.仏像の観方・楽しみ方についてのまとめ
 2009年に東京博物館で「阿修羅展」が開催され、仏像好きが一気に増え、
 今日の仏像ブームとなった。その仕掛け人が興福寺貫主の多川俊映氏。
 その多川氏が最近の著書「仏像 みる・みられる(角川書店)」で苦言を
 呈している。
 
 私たちは、直ぐにこの仏像はいつ頃の作だろうか、誰の発願だろうか、材質
 は、仏師は、と仏像についての予備知識を得てから観ようとする。
 (文化財として見る限りおいては当然のことと考える。)
 
 多川氏は著書で次のように言及されている。
 『誤解を恐れずにいえば、基本データは邪魔でさえあり、むしろ何の予備
 知識をも持たずに、ただそのままに仏像の前に立てばよく、そして、ただ
 ただ仏像をみつめればよいと思うのです。
 
 そうしたところに、おのずから心の変化を促す契機があると思うのです。
 唐突ですが、そのことを空海の言葉を借りていえば、「虚往実帰(虚しく
 往きて実ちて帰る)」でしょうか』
 
 仏像に何を求めるかによって、観方・楽しみ方も変わって来る。最後に
 空海の言葉(⑦)をご紹介して、講演会を終えた。
⑦空海 般若心経秘鍵から

4.お礼
 今回の講演会開催に当り、山口博正さんと幹事の若狭茂さんには2月に
 お会いして以来、大変お世話になりました。厚くお礼申し上げます。

 講演会終了後は、杉並稲門会 会長の久保田さん、副会長の前坂さん
 とも、コーヒーを飲みながら楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 また、小生所属のNPO団体メンバー、関さんや青野さんも講演会最後
 まで、お付き合い頂きました。すべて仏縁と感謝!(合掌)


2018年6月12日火曜日

高井戸のお不動さん 吉祥院を参拝!


6月9日(土) 京王井の頭線高井戸駅改札口10時集合、吉祥院に向かう。
参加者は総勢15名。駅から徒歩6分に位置する。3月に訪れており、直近
二度目の参詣となる。予め、ご住職にお電話し、参拝予約をしておいた。

駅の階段を降り、環八通りを右手に進むと参道入口の鳥居のような門(①)
が見えて来る。門をくぐり、左右が住宅となる細い参道(②)を歩く。
参道奥を右手に折れると山門(③)が見え、その先に本堂(④)がある。

杉並区教育委員会による「吉祥院」についての解説は・・・
「当院は象頭山遍照寺と号する天台宗の寺で本尊は不動明王です。中興開山
 は上高井戸村の並木卓善で、明治16年に開創されました。

 並木卓善は不動信仰に厚く、明治8年には成田山新省講を結成し、成田不動尊
 の末寺的な寺院を創設しようと計りました。しかし、当時は寺院の新設は禁止
 されていたため、丁度廃寺となっていた谷中の吉祥院=江戸初期の開創で
 松平定信や輪王寺宮の崇信を受け、大寺席となったが、明治維新廃寺と伝える
 =を再興するという姿で開かれたのが、当院のはじまりです。」

廃寺の再興とは、吉祥院二世晃恭が谷中の天台宗象頭山遍照寺吉祥院住職と
なり、明治16年に移転させたということのようだ。

①環八沿いの吉祥寺参道入口  ②山門へ向かう住宅地の参道

③山門                 ④本堂

ご住職お住まいのインターホンを押し、来訪をお伝えすると、本堂が開扉
され、堂内へご案内頂いた。椅子への着席と写真撮影の許可を頂いた。
全員が坐って、ご住職のお話を拝聴した。(⑤)

吉祥院の正式名は「象頭山(ぞうずさん)遍照寺(へんじょうじ)吉祥院」。
歓喜天(象頭人身の神)がご本尊であったことにより、「象頭」との山号が
付いていた。また「遍照」とは大日如来のこと。現在は、不動明王がご本尊
となっている。

また、吉祥院の変遷は、霊巌島から谷中に移り、更に現在の地に移転と
なったとのこと。霊巌島とは霊巌寺がかつてあったところのようだ。
ご住職の解説をお聴きしたあと、堂内を拝観させて頂いた(⑥)。 
⑤ご住職からお寺の縁起を聴く   ⑥本堂内を自由に拝観する

ご本尊の不動明王像(⑦)は、大師様(だいしよう)の造形。両眼を開いて
おり、天地眼となっていない。本堂右手奥には、寛永寺慈眼堂から拝領された
と言う厨子の扉(⑧)が置かれていた。三つ葉葵の紋が彫られ、格式の高さを
物語っている。

慈眼堂の慈眼とは慈眼大師天海僧正のことであり、家康、秀忠、家光と徳川
三代に仕えた高僧。吉祥院の本堂と山門は慈眼堂から移築されたらしい。
棟札がないため、証明できないことが残念とご住職が言われていた。

大老・松平定信もこのお堂に上がり、我々と同じ位置でご本尊を礼拝された
のではないかとのご説明に、江戸時代に思いを馳せることにもなった。

厨子の前には中央に不動明王、左右には智拳印を結ぶ金剛界大日如来が
鎮座されている。いずれの像も、ご利益を感じさせる造形だ。
⑦ご本尊の不動明王像      ⑧慈眼堂拝領の厨子と諸尊像 

本堂から、外に出て、境内の石仏のご説明をお聴きした。本堂を正面に見て、
左手に、五大明王、三十六童子など成田山と同じような築山がある(⑨)。
三十六という数は、過去・現在・未来と三倍すると百八となり、煩悩の基となる
とご説明された。煩悩を断ち切るための童子と理解した。

⑨吉祥院 成田山

本堂を挟むように左右に二童子が立っている。本堂に向かって左側には
険しい顔立ちの童子、制多迦童子(⑩)が立っている。他方の右側には、
蓮華を持ち、優しい顔立ちの矜羯羅童子(⑪)が立つ。像名の表記が逆
になっているのは残念。
⑩制多迦童子像      ⑪矜羯羅童子像

境内をぐるりと巡った後は、ご住職と一緒に記念撮影(⑫)をした。シャッター
は、所属団体仲間の石岡さんにお願いした。住まいが吉祥院のご近所でも
あり、今回の見仏会に馳せ参じてくれた。
⑫ご住職と一緒に記念撮影

本堂の左手奥に、「こもり娘」と言う可愛らしい像が目に付いた(⑬⑭)。
台座には明治三十三年九月二十八日建立と明記されている。
建立された人達の名前もあった。どんな思いで建てたのだろうか。 
  ⑬ こもり娘像と石碑        ⑭こもり娘像

杉並の寺院は7割が明治以降の移転、もしくは新設の寺院であり、特に
移転された寺院の場合は、お寺の古い縁起に不明な部分もある。

吉祥院も、新たな確証となる史料が出てくれば、文化財としての価値も
更に高まることが予想される。杉並の寺院は歴史を調べる楽しみもある
と思われる。いつも、熱心に解説されるご住職にお礼申し上げたい。

拝観後、高井戸駅近くの中華で、早めの昼食を美味しく頂いた。(合掌)