2017年4月30日日曜日

小平市花南仏像の会主催「東京の仏像探訪」に同行!


4月28日(金)、小平市花南仏像の会主催の仏像探訪バスツアーに
同行させて頂いた。参拝寺院、拝観の主たる仏像は以下の通り。
 1.江戸川区・金蔵寺(こんぞうじ)…木造阿弥陀如来立像(浄土宗)
 2.江東区・因速寺(いんそくじ)…木造阿弥陀如来立像(浄土真宗)
 3.台東区・浅草寺(せんそうじ)…本堂内と境内の諸尊像(聖観音宗)
 4.台東区・長寿院(ちょうじゅいん)…木造阿弥陀如来立像 (浄土宗)
 5.文京区・護国寺(ごこくじ)…本堂内諸尊像 (真言宗豊山派)

1.金蔵寺
  「花南仏像の会」の人達は小平からバスで金蔵寺を目指した。私は、
  都営新宿線に乗車し、一之江駅で下車し、金蔵寺へ向かった。
  瑞江大橋を渡り、15分程歩いて、金蔵寺に辿り着いた。

  ご住職のお出迎えを受け、本堂へ案内された。椅子に腰かけ、寺の
  縁起などの解説を拝聴した。創建が室町時代で、ご住職は39世に
  なるそうだ。東京では江戸時代の創建が多い中、室町時代の寺院とは
  歴史が古い。
瑞江大橋から新中川を望む       金蔵寺の山門
 
  親切なご住職で、ご本尊・阿弥陀如来立像を間近で拝観することを
  お勧めされるし、写真の撮影も許可された。台座の蓮華座は左右に
  分かれる踏割蓮華座で、左足を少し踏み出した形になっている。
  お顔立ちも快慶風にくっきりされている。像高95.5㎝、ヒノキ材、
  玉眼、漆箔、鎌倉時代前期(13世紀)の作とある。

  1994年に、足の虫食い修復のため、解体修理が行われ、胎内から
  銘札などが出現されるか期待されたそうだ。残念ながら出現されなかった
  とのこと。造立年月などを特定できる資料があれば、恐らく国重文以上の
  指定ではないかと想像する。今回の修復記録は胎内に納めたそうだ。
 
  ご詠歌  『松風や みのりの寶 金蔵寺 彌陀のあわれみ 深き利根川』 
ご本尊の阿弥陀如来立像     ご住職に質問

2.因速寺
  お寺に到着して、最初に目に入って来たものは「悪人成仏」の扁額。
  お堂の前に立つ遊行僧は親鸞と直ぐに分かる。ご住職不在で、奥様と
  若いお坊さんがご説明された。
  1996年の解体修理を記録した写真が堂内の壁に掲げられていた。
「悪人成仏」の扁額と親鸞の像  ご本尊改修の様子を示す写真
  因速寺の阿弥陀如来立像も金蔵寺像同様に快慶風の素晴らしい像だ。
  写真撮影は断られ、絵葉書を頂けた。像高79㎝、寄木造、玉眼、金泥、
  漆箔、鎌倉時代の作。 
  江東区内で、関東大震災、戦災からのがれてきた像としても、また鎌倉期に
  制作された像の中で早い時代の像としても貴重とのことだ。大事に思う人
  が、身を挺して災難から護ったからこそ今日受け継がれている。
(因速寺の絵葉書から)
改修前の阿弥陀像  改修後の阿弥陀像

3.浅草寺
  バス駐車の兼ね合いで、雷門からではなく、二天門から境内に入った。
  本堂の内陣に入って、拝観していたところ、マナーが悪いと指摘される。
  拝観と礼拝の違い。
  本堂の後は、影向堂(ようごうどう)で干支ごとの守り本尊をお参りした。
二天門から境内へ入る  本堂とスカイツリーを背に記念撮影

  境内に祀られる尊像の拝観をお勧めし、ご案内した。本堂の斜め前に
  ある手水鉢の上には、高村光雲作の龍神・沙竭羅龍王像を安置。
  次に露座の仏、観音・勢至の二尊仏について説明。この像を寄進した、
  高瀬善兵衛という人が群馬県館林の出身であることを、少し自慢して
  付け加えた。実は同郷の人。
高村光雲作の沙竭羅龍王像 二尊仏を拝観後、仲見世通りへ

  混雑する仲見世通りを歩き、雷門に辿り着く。雷門の裏側には男神・天龍と
  女神・金龍が参道を見守ている。この天龍の作者が小平市名誉市民の
  彫刻家、平櫛田中(ひらくし でんちゅう)であることを伝えた。
男神・天龍          女神・金龍
◎昼食
  予約をしていたお店で、お蕎麦と天丼のセットを美味しく頂いた。

昼食予約のお店に入る

4.長寿院
  前に広い駐車場のある鉄筋のビルがお寺とは、少し戸惑う。建物の脇に
  ある階段を昇ると、2階がお寺になっていた。本堂に案内され、ご高齢の
  ご住職からご本尊について、詳しくご説明があった。

  長寿院のご本尊は、少し左に顔を傾けた「見返り阿弥陀」と言われている。
  日本には3体あり、京都の永観堂、山形のお寺(寺名?)、そして長寿院
  とのこと。

  この阿弥陀像の調査は、東京藝大で教授をされ、その後に、新潟県の
  美術館長をされた水野敬三郎さんだそうだ。

  どのような経緯で長寿院のご本尊となったか大変興味深く拝聴した。
  奥州名取郡の老婆が熊野詣の時に、恵心僧都からもらい受けた像が
  今に伝わるとは凄い話だ。
                 (ネットからの写真)
階段を上り本堂へ      見返り阿弥陀

  ご住職から近くに寄って、ご覧下さいと勧められた。左側から眺めると
  確かに見返り阿弥陀となっている。しかし、右側からだと、傾きが小さい
  ためか、見返りのようには見えなかった。今なお、截金の文様がくっきり
  見える、見事な像だ。
  
5.護国寺
  最後は、徳川家所縁の寺院、護国寺を訪れた。若いお坊さんにご案内
  された。本堂までの参道を昇りながら、種々解説して頂いた。参道の両脇に
  ある蓮華水盤は桂昌院の寄進であることや、銅造の大仏が筑波山神社、
  知足院から移された経緯等々。
本堂         本堂内の仏像配置図

  本堂の中では仏間に安置された多くの像を間近で拝観させて頂いた。
  アップした仏像配置図は以前拝観した時にをまとめたもの。寺社の建造物
  や仏像に油をかける事件が続いた時期には仏間への立ち入りが禁じられた
  ことがあった。三十三応現身を直ぐそばで拝観できたのは今回初めて。

  拝観後、本堂を背に記念撮影をし、その後、護国寺の墓所をご案内頂いた。

本堂を背に記念撮影    墓地の解説に耳を傾ける


三条実美の墓         解説板

一日楽しく、過ごさせて頂きました。いつもながら、竹田会長始め、
会の皆様には大変お世話になりました。来月の再会心待ちにしています。
(合掌)





2017年4月27日木曜日

平成29年新指定国宝・重文の仏像を東博で観覧


本日10時 東京国立博物館入口にBAC会員18名が集合。目的は
平成29年新指定国宝・重要文化財となった仏像彫刻を観覧するため。

国宝指定で展示されていた仏像は、深大寺の銅造釈迦如来倚像のみ。
残念ながら、奈良・法華寺の木造維摩居士坐像、大阪・金剛寺の木造
大日如来坐像、木造不動降三世明王明王坐像は写真の展示となっていた。
大日如来台座の獅子2頭と、光背の化仏2体は展示されていた。
若干期待外れ。

印象に残った仏像は今回重文に指定された京都・蘆山寺(ろざんじ)の
木造阿弥陀如来及両脇侍像の三躯。中尊・阿弥陀如来坐像のお顔も
良いし、両脇侍の姿勢や衣をなびかせる表現など大変素晴らしい。
また勢至菩薩が合掌するポーズではなく天蓋を持つ姿になっているのも
珍しい。
(ネットからの画像)
京都・蘆山寺
重文 木造阿弥陀如来及両脇侍坐像
(中尊)阿弥陀如来坐像

(右脇侍)勢至菩薩坐像 (左脇侍)観音菩薩坐像

同じく重文にしていされた宮城県 お薬師様文化財保存会の木造千手観音
坐像にも注目した。身体の彩色に比べ、お顔が綺麗であり、まるでお化粧を
しているように見える。
(ネット画像)
宮城県大崎市・お薬師様文化財保存会
重文 木造千手観音坐像

同じフロアに展示されている神奈川県曹源寺の十二神将立像が目を引いた。
鎌倉初期の運慶派の清新な作風を示すと解説にある。十二躯が揃うとさすがに
賑やかな感じがする。頭上に置かれた干支の動物を見ながら、自分の干支と
なる神将を探す。
十二神将を観覧する方々

神奈川県横須賀市・曹源寺         解説文
        重文 木造十二神将立像

更に、館内の別スペースや別フロアの展示物を観覧しながらのんびりと
過ごした。11時半には再度集合し、18名全員が館内のレストランで昼食を
取りながら歓談した。昼食後、解散。




2017年4月21日金曜日

BACの活動 6年目に突入‼


4月定例会には23名参加(欠席4名)。BAC活動も6年目に入る。
グループでの学習、意見交換を中心とした運営に変えた。また、
3か月間中断していたレジュメは、新幹事・渡辺(亮)さんが自ら
進んで作成の労を取られ、今月復活した。

1.前月拝観の感想
  先ずは、3月訪れた根津美術館「高麗仏画、梵天・帝釈天像」
  観覧の感想やご意見をグループで話し合って頂いた。
  1グループ6名の少人数だと、発言もしやすようだ。
  各グループ時間の経つのも忘れ、話が弾んでいた。
グループ毎に歓談する参加者
 
2.会員からの情報
  ①西さんが朝日新聞に掲載された金子兜太選の俳句を
    一句ご紹介された。
 
  「聖観世音菩薩坐像の囀れり
  (しょうかんぜおん ぼさつざぞうの さえずれり)」
  観音さまが何やら囁いているように聞こえる景色は何とも
  微笑ましく映る。「囀る」との表現が、また愛着と親近感を覚える。
  坐像の観音様なら、恐らくご本尊だと思う。囀り声が聞こえたら、
  参拝者は驚くかもしれない。
 
  ②井戸さんから三浦半島の秘仏一斉開帳について情報提供があった。
  132年ぶりに2大霊場が同時開帳となるようだ。
3.学習会
  続いて、学習会では初心に帰って、「飛鳥時代の仏像」から復習したい
  との要望が出て、お応えする形で進めた。参加の皆さんが飛鳥時代の
  仏像にどんなイメージを持っているのか、あるいは疑問、質問はないか
  など、最初にグループ内で話し合って頂いた。
 
  ○飛鳥時代はいつからいつまでのことを言うのか、白鳳時代との境目は
   いつか?
  ○広隆寺の弥勒菩薩坐像が裸像となっているのはなぜか?
  ○法隆寺救世観音の持っている火焔宝珠にはどんな意味があるのか?
    等々。
 基本的な質問もあれば、少しマニアックと思われる質問まで出た。
 学習会を進める上で、質問が出る姿は望ましい。分からないことはお互い、
 調べてみることも必要。
  
 仏教彫刻での時代区分と法隆寺金堂の釈迦三尊像にテーマを絞った。
 飛鳥仏の特徴であるアルカイックスマイルについてもどう思われるか
 質問をしてみた。大好きと答える人もいれば、微妙とされる人もいる。
 確かに、少し含み笑いをしているようにも見え、必ずしも良い印象とは
 言えないようだ。
 
 行政上の飛鳥時代が仏教彫刻上では飛鳥時代と白鳳時代とに
 分かれるようだ。白鳳時代をいつからにするかは諸説ある。大化改新の
 645年としたり、天智天皇治世の662年とする場合などがある。
 天武、持統天皇が築いた藤原京の時代こそ白鳳時代と言えるのでは
 ないかとも思える。
仏教彫刻の時代区分の一例
 
 法隆寺金堂の釈迦三尊像の特徴は、アルカイックスマイルと併せて
 正面性と言われている。正面からしか見られることを想定しておらず、
 横や後ろから見られることを想定して制作されていない。
 
 人の眼に触れないところまで丁寧に制作した後の時代と比較すると、
 物足りなさを感じ得ない。しかしながら、初めて目にした時には、その
 見事な造形に驚嘆したであろうと想像する。
 
★現在、奈良・京都で公開中の仏像特別展についても情報をご提供した。
 ○奈良博・・・快慶ー日本人を魅了したほとけのかたちー(6月4日まで)
 ○興福寺・・・阿修羅像ー天平乾漆群像展ー(6月18日まで)
 ○東寺・・・春季特別公開(五重塔初層内部など) (5月25日まで)
 
◎日本橋三越本店6階 アートスクエアで開催中「彫刻アニマルパーク」の
 お知らせした。BACで何度も講演頂いた中嶋莉恵さんの作品が出展
 されている。5月2日(火)までの開催。
 


2017年4月15日土曜日

杉の樹大学同窓会主催 仏像講座開催!


杉の樹大学同窓会主催の仏像講座は今年で5年目になる。「仏像の観方・
楽しみ方」と銘打って、毎回取り上げるテーマを変えてきた。
今回は観音菩薩に絞った内容でお話しさせて頂いた。本日の参加人数は
97名と、主催者の方からご連絡があった。

観音菩薩は、数ある仏さまの中で、一番人気の仏さまと思われる。誰もが
親しみを感じ、観音霊場めぐりも盛んだ。最初に、観音菩薩がなぜ人気
なのかを探ってみた。また観音信仰がどのように生まれたかについても、
触れた。

熱心にお聴きの皆さん     観音菩薩はどんな仏?

観音信仰の誕生      ご本尊が観音の代表的寺院

観音菩薩の登場場面も様々。阿弥陀如来の脇侍として西方極楽浄土
から来迎 される場合、観音さまが三十三の姿に変身して衆生を救済する
場合、密教に登場する変化(へんげ)観音となる場合など。その典拠となる
経典は別々。
観音菩薩が登場する経典       三十三応現身

変化観音と六観音      六道と六観音

京都・千本釈迦堂の六観音    ご紹介の観音菩薩像

最後に名品の観音菩薩をご紹介した。質疑応答の時間を長めに
設けたところ、次々にご質問があった。皆さんが熱心にお聴きに
なられたことが良く分かった。有難い(合掌)





2017年4月11日火曜日

四国八十八ヵ所霊場第一番札所 霊山寺を参詣!


毎年1回、各地から集まり旧交を温めている会がある。その仲間8名で
四国八十八ヵ所霊場第一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)を4月10日の
朝、参詣した。

昭和50年代前半、同じ職場に勤務した人たちが、その職場を離れた
後に、当時の課長の名前を冠した「高木会」を発足させた。高木さんは
すでに他界されて、十数年が経つ。
現在も、会の名前はそのままとなっており、高木さんのお人柄・人望
が偲ばれる。

4月9日(日)、JR徳島駅に集合したのは、地元徳島1名と熊本、岡山、
大阪、兵庫、埼玉、神奈川、東京からの各1名。

宿泊する晩の宴席では、互いの近況報告で懇親を深める。合わせて、
ご当地の名所旧蹟を巡る。私の要望に応えて頂き、旅程の一つに名刹・
古刹の参詣が加わる。

★霊山寺(徳島県鳴門市)について
 正式名は竺和山(じくわさん)一乗院(いちじょういん)霊山寺。
 高野山真言宗の寺院でご本尊は釈迦如来。

 寺伝によると、奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開創。平安時代の
 弘仁6年(815年)に空海がここを留まって修行したという。
 空海は「釈迦が天竺(インド)の霊鷲山(りょうじゅせん)で説法する姿」を
 感得し、天竺の霊山である霊鷲山を日本に移すという意味で竺和山と
 名付けたそうだ。

 第一番札所だけに、巡礼の装束をここで整えるための、施設も整備されて
 いる。バスに乗った大勢の参拝客も到着した。急いで、御朱印を頂く。
御朱印とご本尊の絵姿など

★霊山寺の堂塔・建造物と仏像
  
山門(仁王門)

 山門前の石柱には「四国第一番 霊山寺」と「大正三年四国霊場開創
 千百年記念」の銘が刻まれている。大正三年(1914年)が四国霊場
 開創千百年記念の年になるとは、空海が修行した815年を起算の年
 としている。

 札所番号が一番になったのは、大阪から四国へ渡るには淡路島を
 経由し、鳴門から四国入りするのが一般的であり、鳴門の港に最も
 近い霊山寺を第一番札所と定めたと推測されるとのこと。
大正三年四国霊場開創   四国第一番 霊山寺
              千百年記念

 山門(仁王門)には、向かって右側に阿形、左側に吽形の仁王像が
 安置されている。吽形像の前には、巡礼姿のマネキン人形が立ち、
 まるで参拝客を出迎えてくれているようだ。これも第一番札所ならではの
 工夫なのか? 
吽形とマネキン人形          阿形

 山門を通り、正面に本堂、右手に大師堂が見える。また本堂へ通じる
 参道の左手には奥から、不動明王像、十三仏の石仏が祀られている。
 十三仏とは亡くなった人を浄土へ導く仏のこと。初七日から三十三回忌
 まで法要ごとに担当する仏が決められている。 
本堂            大師堂

不動明王坐像      石仏の十三仏

 本堂への参道を挟んで、大師堂の反対側には多宝塔が建っている。
 1階屋根の軒下には「五智如来」の扁額が掲げられていた。五智如来
 は曼荼羅に出て来る如来。大日如来を中心に四方を大日如来の智慧を
 分有する如来を配している。残念ながら、閉扉されており、塔の中は拝観
 できない。 密教の仏様だ。
多宝塔  
    
足早に参拝した後は、山門前で記念撮影。ジャンボタクシーの運転手さんに
シャッターをお願いした。 
山門前で記念撮影     マネキンとツーショット

参加者の中には四国八十八ヵ所霊場の歩き遍路を四度も実行された
SSさんもいる。決断力、行動力に脱帽。いつかは、四国遍路を実現したい。

霊山寺参詣以外の観光として、「大塚国際美術館」「妙見山彫刻公園の桜」
「うずしお観潮船」などを堪能した。また、宿泊した淡路島うずしお温泉うめ丸
の活造り「鯛」は大変美味しかった。

世話役としていつも会をリードしてくれるHSさん、ご当地として今回ホスト役
を果たされたSKさんには特にお礼を申し上げたい。来年も皆さんと元気に
再会できることを願って止まない。(合掌)