「古寺名刹参詣の自分流楽しみ方」シリーズの第5弾は『東寺』にしたい。
東寺は、京都を訪れるたびに参詣する寺院ある。空海所縁の寺院と言うこと
で、関心・興味が尽きない。
東寺は複数回に分けて整理することとした。先ずは、歴史と寺宝を概観し、
次いで、空海の思想と曼荼羅を別の回に整理したい。
1.歴史、伽藍、寺宝
桓武天皇は平城京から長岡京に遷都し、造営責任者の藤原種継が暗殺され
たため、わずか10年で再び平安京に遷都した。遷都理由の一つに奈良仏教
の僧侶が政治に介入することを排除しようとしたことが挙げられる。道鏡
の事件が直ぐに思い起こされる。
平安京には官寺の東寺、西寺以外に寺院の造営を認可しなかった。そうし
た時代背景の中で東寺が誕生した(❶)。
東寺の略年表に空海の関りを記したのが❷である。空海は遣唐使として唐
に渡り密教を請来した。嵯峨天皇の信任が厚く、東寺別当となり、やがて
東寺を賜る。
❶東寺の歴史と寺宝 ❷略年表と空海の足跡
東寺の伽藍配置が分かる境内案内図(❸)と堂塔に安置の諸尊像(❹)で
境内の建造物と文化財の仏像について概観できる。南大門、金堂、講堂、
食堂と一直線に並び、南大門を挟むように五重塔と灌頂院が建つ。
❸東寺境内案内図 ❹堂塔に安置の諸尊像
木造建築の寺院は焼失、再建を繰り返して来た。現在の東寺・主要堂塔に
ついての再建年をまとめた(❺、❻)。国宝・重文の建造物もすべて再建
された建造物である。豊臣秀頼や徳川家光が再建を支援していたとは興味
深い。
❺堂塔略年表と再建年 ❻主要堂塔の再建状況
3.各堂塔の寺宝・諸尊像(立体曼荼羅を除く)
(1)金堂、御影堂
東寺のご本尊が金堂の薬師如来坐像である(❼、❽)。日光・月光の
両脇侍像を従え、十二神将は薬師如来の台座を支えている。
御影堂(大師堂)はかつて弘法大師の住房であった仏堂である。そこに
国宝の弘法大師坐像、不動明王坐像が安置されている。不動明王像は、
弘法大師の念持仏とされ、秘仏で御開帳されることはない(❼)。
弘法大師坐像の作者が運慶の4男、康勝(こうしょう)とされる。運慶
の工房が東寺に深く関わっていたことを示している。康勝の作品として
有名な像は法隆寺金堂の阿弥陀如来坐像や六波羅蜜寺の空也上人立像が
ある(❾)。
❼金堂・御影堂の仏像 ❽金堂本尊と諸尊像
❾康勝の作品
(2)宝物館、鎮守八幡宮
東寺の守護神とも言える像が宝物館安置の兜跋(とばつ)毘沙門天立像
と八幡宮の八幡三神像。兜跋毘沙門天は平安京の正面入口である羅城門
楼上に置かれ、平安京を守護してきた。八幡三神像は平安京鎮護のため
空海が請来・造立したものではないかと言われている。
兜跋毘沙門天の「兜跋」とは一般的に現在の中国ウイグル自治区にある
トルファンとされている。シルクロードの要衝として栄えた都市である。
守護神と所縁のある土地で(同化政策のためか)民族的な迫害を受けて
いるとの報道を耳にする。兜跋毘沙門天の守護を祈るばかりだ。
2013年に東北を旅した時に、岩手県花巻市の成島毘沙門堂で拝観した
兜跋毘沙門天像を思い出す。5m近い巨像で迫力満点であった(⓫)。
❿宝物館と八幡宮の尊像 ⓫成島毘沙門堂の毘沙門天像
(3)観智院
観智院は東寺の北大門を出たところにある。所蔵する五大虚空蔵菩薩は
鳥獣坐の台座が非常に興味深い。この像は空海の師匠である恵果阿闍梨
の念持仏であったものを空海の孫弟子、安祥寺の恵運(えうん)が請来
したと伝えられる(⓬)。
安祥寺の開山が恵運であり、開基が藤原順子(ふじわらののぶこ)であ
る。2019年に五智如来座像が国宝に指定された。東寺講堂の五智如来は
焼失後に再制作されたものであり、この安祥寺像が日本最古の五智如来
像となる。
⓬観智院の五大虚空蔵菩薩像 ⓭安祥寺の五智如来像
(4)五重塔
五重塔の内部は、心柱を大日如来にし、4面に菩薩を従えた如来が安置
されている。また、壁面には真言八祖像が描かれている。真言八祖とは
真言密教を伝えたインド、中国、日本の祖師のことを言い、弘法大師が
法脈を受け継ぐ承継者となる(⓮⓯)。
<続く>
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