前号に続き、東大寺の寺宝(文化財)についてまとめた。今回は、法華堂
大仏殿、南大門とそれぞれの堂宇に安置された諸尊像について整理した。
1.法華堂
法華堂は須弥壇のある正堂(しょうどう)と礼拝するスペースの礼堂
(らいどう)を接合部(造り合い)で繋いだ建物となっている。正堂は
創建当初(奈良時代)のお堂であり、礼堂が鎌倉時代の建立である。
法華堂は、2010年5月~2013年4月の3年間をかけて一世紀ぶりの修理
がなされた。その時の様子が2013年5月にテレビで放映された。朝日
放送制作で、「天平の美を守れ~東大寺法華堂・修理の記録~」と言う
番組名であった。法華堂が危機に晒されていた様子を知ることとなった。
堂内の仏像は一体一体丁寧に梱包され、運び出され、国宝修理所へ届け
られ、傷みの調査や修理を受けていた。修理の甲斐あって須弥壇始め、
堂内も、仏像も晴れやかになったように見えた。
❶法華堂
法華堂修理の期間中に当たる、2011年10月に東大寺ミュージアムが開館
した。法華堂修理完了後に、法華堂に戻らないでミュージアムに移った
仏像は4件8躯(国指定文化財としてのカウント)ある。(❷❸❹❺)
国指定文化財の名称(❹)によれば、国宝 塑造<日光仏/月光仏>立像、
重文 弁財天吉祥天立像、木像地蔵菩薩坐像、木像 不動明王二童子像の8軀
であり、これだけの像が法華堂から去ると、堂内が少し寂しく感じるよう
にもなった。(❺)
なぜ移動となったのだろうか? 法華堂本来の像ではなく、客仏だったから
だろうか? 法華堂本来の像については諸説ある。本尊の不空羂索観音が
立つ八角二重壇の下段に6つの台座痕跡があり、6体が本尊を囲んでいたと
分かる。
その6体とは塑造日光・月光菩薩像(本来像名は梵天・帝釈天)と戒壇堂の
塑造四天王像(❾)であり、当初の安置仏は執金剛神像を加えた8体では
ないかとの説だ。乾漆像の大きな本尊を塑像群が囲む光景を見てみたい。
本来像に諸説があり、どの像が本来像か、どの像が客仏かを見分けるのは
難しいように思える。今回移動した像は塑造が多い。免震装置を備えてい
るミュージアムの方がより安心と考えたのかもしれない。
❹法華堂安置・旧安置仏像一覧 ❺法華堂からミュージアムへ
現在、法華堂安置の仏像10躯はすべて国宝。執金剛神像のみが塑造であり、
他の9軀はすべて脱活乾漆造である。これだけ乾漆像が揃うお堂は無い。
天平の美を象徴する尊像揃いと言える。(❻❼❽)
執金剛神像は本尊の不空羂索観音像と背中合わせで北向きに立つ。開山
の良弁僧正念持仏と言われる。この像は伝説があり平将門の乱の際には、
髻(もとどり)の元結(もとゆい)紐が蜂となって飛んで行き、将門を
刺して、乱を平定したとのことだ。(❻)
❽四天王像(脱活乾漆造) ❾戒壇堂四天王像(塑造)
2.大仏殿
大仏殿は2度の大火に見舞われており、重源が復興した鎌倉時代のものは
史料でしか確認できない。大仏殿の諸尊像は運慶、快慶などの慶派仏師が
制作したことが分かっている(❿)。
もし、当時の像が残っていたら、どれほど圧倒される迫力だったろうかと
想像する。返す返すも残念だ。制作に携わった仏師は以下の通り(❿⓫)。
【脇侍像】 如意輪観音…定覚・快慶/ 虚空蔵菩薩…康慶・運慶
【四天王】 持国天…運慶/増長天…康慶/広目天…快慶/多聞天…定覚
平氏の時代には不遇の身であった慶派仏師(⓬)が源氏の世になって一躍
表舞台に出て来た。
現在は、火災によって損傷を受け、その都度修復を重ねてきた廬舎那仏と
江戸時代に再建された両脇侍像(⓭)と広目天と多聞天(⓮)が大仏殿に
鎮座されている。
金剛峯寺所蔵の四天王像の中で、広目天像に「快慶の銘」がある(⓯)。
東大寺像の10分の1のサイズであり、ひな型ではないかとされる。更に
海住山寺(かいじゅうせんじ)の四天王像も同じ図像を基に制作された
のではないかと思われる。13mを越える四天王像が大仏殿に立っている
と想像しただけでワクワクする。
3.南大門
南大門は三好松永の合戦での焼失を免れ、鎌倉時代の姿を今日に伝えて
いる。
運慶、快慶作の仏像が焼失することなく、今日拝観できるのが南大門の
金剛力士像だ。吽形像は定覚と湛慶(⓰)、阿形像が運慶と快慶(⓰⓱)
との確証がある。
これだけの超大作がわずか69日と言う短期間で造立されたとのことだ。
正に神業としか言いようがない。
⓰金剛力士像内納入物と墨書銘 ⓱金剛力士像墨書銘(拡大)
⓲金剛力士像(阿形・吽形)
東大寺の歴史は文化財を通して、学ぶことができる。正に、生きた教材として
国民共有の文化遺産と言える。大事に守って行く責任がある。
約1300年前(奈良時代)に、天然痘が大流行した。100万~150万人が感染し
死亡したとのことだ。当時の人口の25~35%に当たる。科学の発達していない
時代であり、廬舎那仏に祈るしかなかった。
翻って、科学が発達した今日はどうだろう。コロナウイルスに振り回されて
いる。未知のウイルスであり、仕方ない面もある。然しながら、せめて対処
方法は納得感のある科学的方法でお願いしたい。「自己診断で自宅療養」など
の指針は、1300年前に戻ってしまったように感じる。
0 件のコメント:
コメントを投稿