2019年1月8日火曜日

2019年 新宿山ノ手七福神めぐり


1月5日(土)9時30分、地下鉄丸の内線の荻窪駅改札口に集合し、
新宿山ノ手七福神めぐりを開始する。参加者は総勢36名と、過去
最多人数。今年で7回目(7年目)の七福神めぐりとなる。

お蔭さまで、天候にも恵まれ、穏やかな温かい日和となった。先ずは、
丸ノ内線で新宿御苑前駅まで行き、太宗寺から巡拝スタート。
6グループに分かれ、移動の都度、人数確認をお願いした。

1.太宗寺(たいそうじ)
  太宗寺は新宿御苑前駅から徒歩2分。境内でストレッチ(①)、
  七福神めぐりに備えた。太宗寺の七福神「布袋尊(和尚)」
  (②)を参拝。

  不動堂に、不動明王と同居されているのが、不思議に感じる。
  布袋和尚は中国出身の禅僧。実在の人物であり、弥勒菩薩の
  化身と言われている。

  太宗寺は浄土宗の寺院。僧・太宗が開いた草案「太宗庵」が前身
  であり、内藤氏の寺地寄進によって太宗寺が創建となった。

  浄土宗寺院に、密教のお堂の不動堂があったり、不動堂の中に
  禅宗の布袋尊が鎮座されたりと、大変興味深いお寺と言える。 

  参加者揃って記念撮影(③)をし、次の七福神に向った(④)。 
①太宗寺境内でストレッチ   ②太宗寺は布袋尊(和尚)

③参加者揃って記念撮影  ④稲荷鬼王神社へ向かう

2.稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)
  靖国通りを右折し区役所通りに入る。直進すると、稲荷鬼王神社が
  右手に、見えて来る。境内は狭く、御朱印を待つ人で賑わっていた。
  七福神の「恵比寿神」を参拝(⑤)。恵比寿神は日本古来の神。

  鬼の名の付く神社も珍しい。由緒を見ると、大久保村の氏神であった
  稲荷神と熊野から勧請された鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社となる。
  「鬼王」の名を持つ日本唯一の神社だそうだ。

  干支の由来に関する解説板(⑥)が目を引いた。今年の干支「亥」は
  大変興味深い。「見た目の変化や声高に主張することは吉ならず、
  慢心を抑え内部の力を充実させ、自分のあるべき場所で力を使うこと
  が『吉』とある。肝に銘じておきたい。

  区役所通りから右折し、職安通りを東へ進む(⑦、⑧)。3番目の
  七福神は永福寺。
⑤七福神は「恵比寿神」   ⑥神社に伝わる干支由来

⑦次に向かうは永福寺   ⑧職安通りを東へ進む

3.永福寺(えいふくじ)
  山門に福禄寿の幟旗が見える(⑨)。福禄寿は境内の小さなお堂に
  祀られている(⑩)。福禄寿は七福神の中でも、特に縁起の良い
  名前を持つ。「幸」「封」「長寿」の御利益に預かれそうだ。

  永福寺は曹洞宗の禅宗寺院。境内には金銅仏の大日如来像と地蔵
  菩薩像が並んでいる(⑪)。密教の金剛界大日如来像がなぜ鎮座
  されているのだろうか? 疑問を持ったまま、次の七福神へ向かう。
⑨永福寺に到着      ⑩七福神は「福禄寿」

⑪境内に金銅仏の大日如来と地蔵菩薩

4.厳嶋神社(いつくしまじんじゃ)
  職安通りで出ると、「山ノ手七福神 抜弁天厳嶋神社」の提灯
  (⑫)が目に入る。小さな社に祀られた弁財天を参拝(⑬)。

  厳嶋神社の縁起や抜弁天の由来は解説板(⑭)に記されていた。
  源義家が奥州征伐をこの地で祈願し、鎮定後、お礼に建てたのが
  厳嶋神社。御祭神は市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)で
  あり、弁財天と習合して、七福神として祀られている。

  それにしても、源義家は何と義理堅いことかと感心する。抜弁天
  とは「参道を通り抜けると苦難を切り抜けた」とする庶民信仰が
  由来とのこと。

  厳嶋神社の塀にはこのエリアの七福神を祀る寺社の地図(⑮)が
  掲示されていた。次は法善寺。
⑫抜弁天・厳嶋神社の提灯    ⑬七福神は「弁財天」

⑭厳島神社・抜弁天の解説 ⑮近辺所在の七福神ご案内

5.法善寺(ほうぜんじ)
  直ぐ近くに法善寺がある(⑯)。日蓮宗の寺院。七福神で祀る
  のは寿老人(⑰)。七福神の中で、一番印象の薄い存在では?
  なぜなら、福禄寿と重なる部分があり、福禄寿の陰に隠れた
  存在となっている。

  寿老人は、福禄寿同様に中国出身で、道教の神。長寿は一番の
  願いだから七福神に二人も揃えていると理解した。次は経王寺。
⑯法善寺に到着      ⑰七福神は「寿老人」

  スタートしてから大分歩いた。ここから、地下鉄利用コースも
  準備しておいた。しかしながら、地下鉄に乗車された方は数名
  だけ。皆さんの健脚ぶりに驚いた。

6.経王寺(きょうおうじ)
  大江戸線牛込柳町駅のすぐ前に経王寺はある。「大黒天」の
  赤い旗が一際目立つ(⑱)。階段を登り、右手のお堂に鎮座
  されている(⑲)。

  お参りの後、御朱印を頂く。若い女性が受付し、奥でご住職
  と思われる年配の男性が次から次へと揮ごうされていた。

  写真撮影禁止の張り紙があり、撮影はできない。お堂の前に
  小さな露座の大黒天像(⑳)は、フォトジェニック。

  大黒天はインド出身。神社では大国主命が音読みでダイコク
  となることから、大黒天と同一視され、大黒天として祀られる
  ことも良くある。

  なお、経王寺は、日蓮宗のお寺であり、開山のお坊さんが、
  大黒天像を身延山久遠寺から移して創建されたとある。

  参拝を終えた人は、階段の下で待ち(21)、全員揃ったのを
  確認して、最後の善国寺に向った(22)。
⑱階段下に大黒天の幟旗   ⑲七福神の「大黒天」を参拝

⑳境内に大黒天の小像   21参拝を終え、階段下で待つ

22最後の七福神へ向かう
7.善国寺(ぜんこくじ)
  大久保通りを進み、早稲田通りとの交差点を右折すると神楽坂
  通りに入る。直ぐ右手に善国寺がある。通りも賑わい、お寺も
  賑わいとなっていた(23)。

  境内の掲示版(24)によると、善国寺の毘沙門天像は加藤清正
  の守り本尊であったこと、開山となった僧が、関白から贈られ
  た像を、安置した像とある。

  参拝を終え、またもや全員揃って記念撮影(25)。時刻も午後
  1時、新宿山ノ手七福神めぐりも成就できた。ご参加の皆さん
  の無病息災、家内安全、諸願成就、世界平和を祈りつつ、散会
  とした。(合掌)

  頂いた御朱印(26)は荻窪東館で1年間大事にお守りする。
23七福神の毘沙門天を参拝  24善国寺の毘沙門天像解説
25七福神めぐり成就の記念撮影 26新宿山ノ手七福神めぐり御朱印

大勢のため、昼食は分かれて頂くこととした。参加者のお一人、Kさん
ご推薦の店に17名も入ることができた(27、28)。ご一緒させて頂き、
歓談しながら、舌鼓を打った。来年はどこの七福神?
27参加者ご推薦のお店で舌鼓  28シェアして頂き、話も弾む






2018年12月30日日曜日

2018年 1年間の活動 まとめ


2018年の活動の記録は以下の通り(❶、❷)。
❶1月~6月          ❷7月~12月

  *荻窪、西荻窪、小平のGはグループの略。
   個人参加団体として「空海研究会」始め3団体がある。

活動(探訪)日数:33日
   <荻窪12日、西荻窪9日、小平2日、個人10日>

参詣寺社
   〇参詣回数:33回  〇参詣寺社数:30寺社

観覧美術館・博物館
   〇観覧回数:14回  〇観覧美術館・博物館数:5館

2018年は、活動33日間、47カ所(延べ)を訪ねた。

美術館・博物館での特別展を複数回、観覧した。
特に、東京国立博物館での観覧が5回と最多回数。 

サントリー美術館3回、金沢文庫(横浜市)2回、
半蔵門ミュージアム2回、三井記念美術館2回と
5館とも複数回数となった。

ご一緒された皆様、一年間有難うございました。
来年もどうぞ、よろしくお願いします。(合掌)




2018年12月22日土曜日

八王子大塚 清鏡寺を参詣!


12月8日(土)10時、多摩都市モノレール「大塚帝京大学」駅に、
荻窪東のメンバー21名が集合。曹洞宗の寺院 清鏡寺(せいきょうじ)
を訪れる。駅から徒歩10分。野猿街道(やえんかいどう)を談笑
しながら歩く。(❶、❷)
❶野猿街道を進む      ❷談笑しながら歩く

道路沿いに案内板(❸)が見える。ほおかぶりをし、境内を掃除されて
いる方に、来訪を伝えると観音堂へ行くように言われた。清掃されて
いた方がご住職であることが、後程、分かった。

観音堂への参道には「南無観世音菩薩」の幟旗が並んでいる。お堂の
一部が、修理のためか、覆われている(❹)。
❸清鏡寺の案内板が見える ❹南無観世音菩薩の幟旗

お堂の中に上がるように促される。何名か、遅れて到着する旨伝えると
繋ぎの話でもしておきましょうと言われ、世間話をされた。解説は全員
揃うまで待つこととされた。何と親切で、気さくなご住職だろう。

清鏡寺には3年前に一度訪問し、今回が二度目となる。当時も感じの
良いご住職だったとの印象が残っている。今回のご対応で、好感度が
更にアップした。

全員揃ったところで、お寺の歴史、観音信仰の「講」、厨子に入れた
ご本尊を背負って、信者のところへ出向く「廻り観音」、仏像の造形
等々、丁寧に解説頂いた。

ご説明を終え、いよいよ、収蔵庫の扉を開けて頂く。中にはご本尊の
千手観音菩薩坐像(❺)、都指定文化財の十一面観音菩薩立像(❻、❼)
が金色に輝いていた。写真撮影の許可が下り、早速シャッターを切る。
❺本尊・千手観音菩薩  ❻都指定文化財・十一面観音菩薩

ご本尊の千手観音は、お顔が京都東山・泉涌寺の楊貴妃観音に良く
似ている。「大塚の御手観音」と呼ばれる真数千手観音。だが実際
には、何度数えても980本とのこと。

小像ながら、実に精緻にできており、文化財指定されていないのが
不思議に思う程である。

十一面観音像は、像高91.5cm、寄木造、漆箔、彫眼の見事な立像。
元々、教福寺と言う別のお寺にあったものが、明治初期の廃寺に
伴い、清鏡寺に移し、安置されたとのこと。(❼解説文)
❼都指定有形文化財の解説 はがき

須弥壇には、厨子があり、身代わりの観音像が置かれ、厨子の脇仏
には、不動明王像(向かって右)と毘沙門天像(左)(❽)が立って
いる。

観音を中尊に、不動・毘沙門で脇を固めるのは天台宗寺院に多い。
ご住職のご説明でも、かつて天台宗寺院であったと言われた。

須弥壇の脇には大黒天像(❾)を安置。大黒天を最初に日本へ請来
したのが、天台宗の開祖・最澄と言われている。したがって、
天台宗寺院に良く祀られる。
❽須弥壇の厨子と脇侍像   ❾須弥壇脇に大黒天像

暫くは、堂内を見学。格天井(❿)には草花の絵が描かれていた。参加者
は、ご住職に質問、歓談しながら拝観した。(⓫) 天井近くの壁には
「多摩川三十三霊場 第十番札所」のご詠歌が掲げられていた(⓬)。
 『よもすがら まよえるこころ おてひきて きよきかがみを 
  てらすおおつか 大塚観音堂』

本堂から外を眺めると修理の覆いが目に付く(⓭)。これは、「これまで
経験したことの無い」と言う言葉で表現された、あの暴風雨による被害
のようだ。大変な中でも快く、拝観を認めて頂き、本当に有難い。
❿格天井        ⓫堂内を見学

⓬清鏡寺の御詠歌     ⓭本堂内から外を見る

最後に、ご住職にも加わって頂き、記念撮影(⓮)をした。ご住職の
お人柄に触れ、楽しいひと時を過ごすことができた。
⓮ご住職と記念撮影

拝観を終え、昼食は立川駅ビル内のレストランで取ろうと立川へ向う。
何人かのグループに分かれ、歓談・昼食となった。




2018年12月21日金曜日

空海研究会(3)當麻寺を訪れる

(続き)<12月6日(木)朝護孫子寺、参詣後>

當麻寺
 バスを降り、當麻寺を目指して歩くと、前方に仁王門(❶)が
 見える。
❶前方に仁王門

 頂いた伽藍配置図を反時計回りに90度回転させ、上を北に
 してと、眺める(❷)と堂塔の位置と方角が良く分かる。

 南から見ると、東塔、西塔が前面に建ち、中央に金堂、講堂
 が一直線に並ぶ。薬師寺式伽藍配置のようになっている。

 また、本堂が境内の西方に、東向きに阿弥陀堂のように建つ。
 中之坊は前身が「中院御坊」と呼ばれる真言密教を伝える御坊。
 東塔の北方に建立されている。
❷境内の伽藍配置図(左図…上が西、右図…上が北)

 當麻寺の縁起(❸)に『草創は聖徳太子の弟、麻呂子(まろこ)
 親王が河内国に造られた禅林寺を、親王の孫、當麻国見が、
 役行者(えんのぎょうじゃ)錬行の当地に移した。その後、
 天武天皇が伽藍を造営し、當麻寺と改めた』とある。

 宗旨としては、最初は三論宗(奈良仏教、南都六宗の一つ)、
 次いで、平安時代に弘法大師の真言宗となり、鎌倉時代には、
 浄土宗の霊場となって行った。

 現在は真言・浄土の二宗を併立している言う。時代と共に
 宗旨が変遷し、堂塔に反映されてきた。宗旨が変わろうと
 古いものを大事に残すところに、仏教の寛容さを感じる。
❸當麻寺の縁起
  
 本堂の受付で拝観料を納めると、本堂、金堂、講堂の3つのお堂
 を拝観できる。先ずは本堂からスタート。

 A本堂
  仁王門から見て、正面に位置する本堂(❹)は国宝建造物。内部の
  状況は❺のようになっている。

  中央の須弥壇には厨子に入ったご本尊の曼荼羅(❻)が安置されて
  いる。須弥壇を中心に、時計回りに廻ると、「弘法大師参籠間」、
  「役行者」を祀る部屋がある。

  須弥壇の裏側を進み、反対側に出ると、須弥壇の中に、中将姫
  二十九歳像を目にする。中将姫の向かい側の部屋には織姫観音
  と呼ばれる十一面観音菩薩(重文)が立つ。

  本堂で、「蓮糸大曼荼羅」の御朱印を頂いた(❼)
❹本堂(国宝)      ❺本堂の内部
❻本尊・文亀曼荼羅(重文) ❼當麻寺御朱印


 B金堂・講堂
  いずれも、鎌倉時代造立の重要文化財指定の建造物(❽、❾)。
  金堂には特別有名な仏像が安置されている。
❽金堂(重文)      ❾講堂(重文)
 【金堂
   中央に本尊の弥勒仏が鎮座し、四方を四天王が囲む(❿)。
   各尊像文化財指定状況、材質、制作年代は⓫の通り。
   このような視点でとらえることは、仏さまを文化財として
   見ている。不謹慎と言われかねない

   本尊の弥勒仏像は日本最古の塑造、四天王像は最古の乾漆造
   と言われている。正に白鳳仏の名作。
       (ネットの画像)
❿本尊・弥勒仏(国宝)     ⓫金堂の仏像配置

 【講堂
   講堂には数多くの仏像が並んでいる(⓬)。どのような基準で
   選ばれた仏像なのかは良く分からない。初めて聞く名前の
   仏像を目にした。「妙憧菩薩(みょうどうぼさつ)」。
   地蔵菩薩の古称であることを、後で知った。
     (ネットの画像)
⓬本尊・阿弥陀如来(重文)   ⓭講堂の仏像配置

 C中之坊
   中之坊は弘法大師所縁の御坊(⓮)、「導き観音」(⓯)の信仰
   が篤い祈願所、後西(ごさい)天皇をお迎えした書院(⓰)、
   名勝・史跡の庭園(⓱)と様々な顔を持っている。

   「導き観音」とは、平安時代に、中将姫の守り本尊である
   十一面観音を刻み本尊とした。「導き観音」と呼ばれ、道に
   迷った時に行くべき道を示して下さるとの信仰となった。
⓮中之坊の縁起など       ⓯導き観音

⓰後西天皇 御幸の間    ⓱名勝・史跡 中之坊庭園

當麻寺の拝観も済ませ、奈良へ向かう。途中、矢田寺に寄ること
となり、バスで向かう。お昼時間となり、昼食は、バスの中で
取ることとなった。コンビニで弁当や、おにぎりを各人買った。

矢田寺
  寺名は知るも、誰も訪れたことがない。山門から見える階段
  (❶)は何段もありそうに見える。登ろうかどうか思案(❷)。

  登り始めるも、途中で断念し降りる(❸)。境内の案内図(❹)
  を見て、状況を理解した。
❶矢田寺山門        ❷階段はどこまで?

❸途中で引き返す   ❹境内案内図

京都駅までどのくらい、時間がかかるか読めないため、早めに
切り上げ、京都駅を目指した。2日間の古刹巡りも幕を閉じだ。
福田先生始め、ご参加の皆さんと共有できた時間は、心和む
楽しいひと時となった。感謝!(合掌)