2019年10月31日木曜日
日常語となった「仏教由来のことば」を考える③
今回のことばは「我慢」、「頑張る」について考えてみたい。
日常語で
「我慢」とは「耐え忍ぶこと」。
「頑張る」とは「あることを成し遂げようと、
困難に耐えて努力すること」。
いずれもプラスイメージのことばと言える。
それでは、仏教語としての意味はどうだろうか。
「我慢」とは、「煩悩の一つ、強い自己意識から起こす
慢心のこと」とある。
「頑張る」とは、「“我張る”が変化したもの」とある。
いずれも強い自己意識のことばであり良いイメージはない。
「我を張る」「我意を張る」と言う強情な心意のエネルギー
が自身の内面に向けられることばとなって、良いイメージと
なったのではないかと想像する。
お釈迦様は、山に籠って、断食を続け、極端な修行を重ねて
も悟れず、下山して穏やかな生活の中から悟りを開かれた。
お釈迦様は我慢し、頑張ることを止めて、悟られたとも言える。
「我慢」「頑張る」は良いことには間違いない。然しながら
仏教語の意味を考え合わせると、「我慢しすぎ」「頑張り過ぎ」
と極端なレベルまで行うことは如何なものかと思われる。
「我慢」「頑張る」も自分自身が心がけることで、他人に対し
求めるものではない。励ましのつもりで言った「頑張れ」も、
人によってはプレッシャーにしかならない。
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