神宮寺創建の要因となったことに「神身離脱思想」があったということは
前回のブログで触れた。神が神の身を離れて仏に救いを求めるとはただ事
ではない。なぜそのようなことが起こったのだろうか。
その背景には当時の神祇官制度による全国統治にひびが入って来たことが
挙げられる。義江彰夫氏は『神仏習合(岩波新書)』で次のように書かれ
ている。
〇神祇官(じんぎかん)制度をめぐって
「奈良時代後期に端を発し、平安時代初期以降全国的な現象として、地方
の有力な神々が神であることの罪と苦悩を訴え、神の身を離脱して、
仏教に帰依する動きが広く出るようになるとすれば、これらの神々を
束ねて制禦することによって人びとの心をつかみ、その全国統治をゆる
ぎないものにしようとした律令国家にとって、事は重大であった。とり
わけ律令国家において、これら全国の神々を統合する行政を委ねられて
いた神祇官の受けた打撃は深刻であった。」
なお、神祇官とは行政の役所名であり、役職ではない。そこの長官を
「神祇伯(じんぎはく)」と言う。それでは、神祇官で行っていた祭祀
とは、具体的にどのようなものだったのだろうか。
〇神祇官での祭祀とは・・・
1.全国の神社から祝部(はふりべ)と言う神職が、神祇官に集められ
祭祀が催される。
2.神々への捧げ物を前に、神祇官の役人が祝詞を読み上げ、その後に
その捧げ物が祝部に班給される。この捧げ物を幣帛(みてぐら)と
言い、皇祖神らに捧げられた稲穂はじめ最良の収穫物を指す。
3.この幣帛は皇祖神の霊で満たされ、豊作を引き出す力を持ったもの
と考えられ、持ち帰って、再び豊かな収穫が期待される。
4.皇祖神への感謝の気持ちを引き出し、租税を徴収するシステムが
神祇官制度と表裏一体になっている。
〇神身離脱がなぜ起こったのか、
1.地方の神々の苦悩は、地方を支配してきた豪族層の苦悩と言われる。
2.神祇官制度による徴税システムに疑問を感じていたのではないか。
3.その行き詰まりを解決するのに、仏教に救いを求めたことこそ
「神身離脱」であり、「神宮寺創建」となって行った。
4.神身離脱して仏教に帰依する神々は、ちょうど釈迦の教えに接して、
仏教に帰依した(取り込まれた)古来インドの神々を思い起こさせる。
梵天、帝釈天、毘沙門天、吉祥天、弁財天など皆、仏教の守護神、
福徳神となっている。
〇神宮寺の持つ意味
1.神宮寺は神を供養するための寺であり、同時に神が修行するための
施設とも言える。そして結果として、神威が増し五穀豊穣に繋がる。
2.山岳修行者による仏教の布教によって、神宮寺の創建が推進された
ことは明らかだ。神祇が仏教と習合しながら国の統治体系が変化し
て行った。
3.神祇官制度による取り立ての徴税システムから、仏教の「布施」と
と言う考え方を取り入れ、神社も好転したようだ。「布施」とは、
功徳を積むため、自ら進んで納める行為を言う。
<続く>
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