今回は、奈良県桜井市の聖林寺・十一面観音像にスポットを当てる。
奈良時代の神仏習合で大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺に祀ら
れた。そして、明治時代の神仏分離令で廃仏毀釈の嵐に見舞われた。
その災難を乗り越えて、優美な姿を残しているのは正に僥倖としか
言いようがない。
東京国立博物館で「聖林寺十一面観音-三輪山信仰のみほとけ」(①)
が、現在開催されている。NHKの歴史秘話ヒストリアと言う番組でも
取り上げられ、「1300年奇跡のリレー国宝聖林寺十一面観音」(②)
が放映された。残念ながら、この番組は終了となってしまい、好きな
番組が一つ減った。
1.大神神社の神宮寺・大御輪寺(だいごりんじ)に祀られた理由は?
「歴史秘話ヒストリア」で紹介されていた。
奈良時代は、自然災害、疫病、戦乱が続き、時の神祇伯(じんぎはく)
文室浄三(ふんやのきよみ、じょうさん)は、十一面観音像を造立する
ことを決定した。神祇伯とは神祇官の長官のことであり、神祇官とは国
の祭祀を司る行政機関のことを言う。
神祇伯が救いを神でなく、仏に求めたことは神仏習合の思想が浸透して
いたことを物語る。日本書紀に大神神社に大物主神を祀ることによって
災いが収まったとの記録あり、文室浄三はこれに倣い、観音像を祀った。
文室浄三とは天武天皇の孫、長親王(ながのしんのう)の子、智努王
(ちぬおう)のことであり、臣籍降下により文室浄三と改名した。
称徳天皇(孝謙天皇重祚)の後継者選びに際し、時の右大臣 吉備真備
(きびのまきび)から推挙される程の人物である。然しながら、藤原氏
の思惑で白壁王(天智天皇の孫)が選ばれ、光仁天皇として即位する
こととなった。(③④)
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